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  • 元ウチダエスコ社長、現・社会福祉法人「松の実会」理事 関昌

機械だけでなく人間もアフターサポート――第23回

千人回峰(対談連載)

2008/06/09 00:00

関昌

関昌

社会福祉法人「松の実会」 理事

息子を事故で亡くし、本気で社会福祉活動に

 奥田 そうだったんですか。ところで、いただいた名刺には社会福祉法人松の実会、障害者支援施設・生活介護事業 いぶき療護苑理事とありますね。社会福祉活動ににはどんな契機で関心を持たれ、いつ頃から活動しているんですか。

 関 社会に何らかの形でお礼をしたいと思っていたからというと格好いいですが、最初は偶然がきっかけでした。1968年でしたか、松戸市に移り住んだんですが、地元の市会議員と意気投合、その人が福祉活動を積極的にやっていたんです。障害者を週に1~2度、家から連れ出して集会所などに集合させて話し合いの場を作るなどの活動です。私も土、日にはその活動に参加するようになりました。

 ウチダエスコは、1978年に松戸にテクニカルセンターを開設しましたが、結構広大な敷地を確保して空き地がありましたので、40坪ほどのプレハブを建て、常設の集会所を提供することにしました。半年ほど行脚して寄付金を募り、2000万円くらい集めてプレハブ建設の資金にしました。これが「いぶきの広場」の母体になりました。

 その後、有志が結集、市当局と何年か交渉して、社会福祉法人「松の実会」を発足させました。松の実会では、障害者生活介護事業として1988年に「いぶきの広場」、1997年には「第2いぶきの広場」を開設しました。第2いぶきの広場では、重症児(者)通園事業も行っています。いぶき療護苑は、老人ホームのように障害者が生活する場で、昨年に開設し、30人を24時間預かっています。

 じつは私、20年ほど前に、息子を事故で亡くしているんです。当時、20歳になったばかりでした。このことが社会福祉活動に本腰を入れる契機になりました。息子が、もし生きてても、障害者として一生を送ることになったろうなと思うんですが、息子の代わりに、困っている人たちの手助けをしたいという思いが強まったんです。

 奥田 いいお話ですねぇ。関さんって、機械だけでなく、人間のアフターサポートにも半生を捧げてこられたわけですね。これからも、一人でも多くの人に生きる喜びを与えていただければと思います。

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Profile

関昌

(せき まさし)  1933(昭和8)年、岡山県岡山市生まれ。県立岡山東商業高校卒業。1957(昭和32)年、太陽計算機株式会社入社。1964年、タイヨウ事務機サービス設立。1970年、内田洋行と合弁でウチダサービス設立。1987年、ウチダコンピュータエンジニアリングと合併、ウチダエスコ設立。1998 年、ジャスダックに店頭公開。2000年、ウチダエスコ退社。社会福祉活動に力を入れる。