今度はオンラインゲームに挑戦――第20回

千人回峰(対談連載)

2008/04/14 00:00

梶並伸博

ベクター 代表取締役社長 梶並伸博

ソフト販売の主流はインターネットになる

 奥田 95年かあ。時期的には早かったんですね。ビジネスになりました?

 梶並 いやいや。フリーソフトのダウンロードはタダですし、シェアウェアはまだそれほど数がありませんでしたから、収入の道は広告しかありません。初めて広告をもらったのは97年で、50万円でした。本の売り上げのすべてをインターネットのほうにつぎ込み、98年まで利益はゼロでしたよ。

 ただ、いずれハードウェアとしてのCDは消える、ソフト販売の主流はインターネットになるので、そこで利益を出せるビジネスモデルを確立しようという意識だけは持ち続けていました。

 98年3月には、当社がシェアウェアの代金を利用者から徴収して作者に払う代行サービス「シェアレジ・サービス」を開始、99年7月には一般市販ソフトを対象に本格的ダウンロード販売を行う「プロレジ・サービス」を開始しました。

ナスダックに上場を新目標に

 奥田 現在の売り上げ状況は?

 梶並 2007年度上期の決算数字でいいますと、営業収益15億4024万円のうち、プロレジ・サービスは51.7%、シェアレジ・サービスは1.5%の割合ですが、オンラインゲーム・サービスが8.7%となり、2007年9月期の中間決算では前年同期比で31.2%の伸びを示しました。

 とにかく、オンラインゲームは第二の柱として育てていきます。

 奥田 オンラインゲームの話は後で聞くとして、ナスダック・ジャパン(現ヘラクレス)に上場したのが2000年、これはどんな動機からだったんですか。

 梶並 IPO(株式公開)したいなと思うようになったのは1997年でした。私、飽きっぽいものですから、常に新しい目標を持っていないとダメなんです。97年はCD付きの本はそこそこ売れていましたし、インターネットでの初めての広告ももらえた。インターネットのブロードバンド化が進めば、黙っていてもソフトのダウンロード販売はそれなりに進むだろう。これで満足してたらだれてくるな、新しい目標が必要だなと思ってIPOを言い出したんです。

12年ごとに大きな決断

 奥田 オンラインゲームに関心を持ったきっかけは何だったのでしょう。

 梶並 SaaS(サービス型ソフトウェア)が注目を集めだしたとき、わが社としてこの分野に取り組むにはどうしたらいいかと考えたんです。コンシューマ市場ではそれなりにブランドは確立されてきたと思っていましたから、コンシューマ市場向けSaaSはオンラインゲームだと考えました。それで、04年にはCJインターネットジャパンに出資、PCゲームポータルサイト「Vector GAMES(ベクターゲームズ)」を運営してきたんですが、「自分たちでやろうよ」と言い出した社員がいたんです。それで私も決断、06年1月に「オンラインゲーム事業に参入」というプレス発表をしたんです。

 この時に発表したのは、韓国のジョイスペル社が開発、やはり韓国のテレサービス社が独占配信権を保有していた、多人数同時参加型のロールプレイングゲーム「MicMac」でした。

 奥田 ちょっと待ってくださいよ。いま逆算してみたのですが、81年、つまり24歳で日経マグロウヒルに入り、36歳の時CD-ROM付きフリーソフト・シェアウェア集の発行を決断、48歳でオンラインゲームへの参入を決めるというと、12年ごとに大きな決断をしていることになりますね。

 梶並 あれっ、言われてみるとその通りですね。飽きっぽいと言いましたけど12年周期があるのか。いいことを教えていただきました。

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