席を譲られよう【道越一郎のカットエッジ】

オピニオン

2024/01/07 18:35

 ある日、電車に乗っていると、2人の男の子とそのお母さんと思しき3人が乗り込んできた。私が座っていた席の隣が一つ空いていた。お母さんはそこに男の子2人を座らせ、自分はその前で立っていた。見たところ30代前半くらいの若いお母さんだ。男の子は3歳と5歳という感じだ。座った男の子の隣には、20代前半の大学生と思しき男性が座っていた。しばらくすると、ふとその男性が立ち上がり、「よろしければどうぞ」と、お母さんに席を譲ろうとした。子ども2人と一緒に座ったほうがいいという心遣いからだろう。しかし、お母さんは「いえいえ、いいです」と座るのを断った。男性が「次で降りますから」と言っても「いえいえ、結構ですから」と頑なだ。結局一度立ち上がった男性は再び座り、言葉通り、次の駅で降りて行った。お母さんは結局、その席に座り、そのまま目的地まで乗っていった。

席を譲るマナーがあるなら
席を譲られるマナーもあっていいのでは?

 時々同じような光景を見かけるが、このやり取りを見ていて、とても切なくなった。誰も悪くないし、平和なやり取りなんだが、切なかった。見たところお母さんは若くて元気そうだった。普通なら席を譲る必要はなさそうだ。ただ、子どもと一緒だったし、2席あれば、3人でゆったり座れる。何かと世話を焼かなければならないし、座っていた方がいいんじゃないかと、男性は思ったのだろう。お母さんたちが乗り込んできて、すぐ席を譲ろうとしたわけではない。電車が走り出してしばらくして、ふと立ち上がってお母さんに声をかけた。席を譲ろうかどうしようか逡巡した後、譲ったほうがいいと決断したのだと思う。それを断られてしまった。私は思った。ありがとうと言って席に座らせてもらえばいいのに……。お母さんはとても遠慮深い人だったに違いない。若い自分が席を譲られるなんて申し訳ないと思ったのだろう。だから誰も悪くない。でもなぁ。席を譲ろうとした男性が少しかわいそうになった。見ず知らずの他人に声をかけるのは、今のご時世、結構勇気がいる。それでもちょっとした勇気をもって席を譲ろうとしたのだと思うのだが……。

 お年寄りに席を譲ろうとして怒られたことが何度かある。そんなに年寄りに見えるのかと。失礼だと言われたこともある。こちらは良かれと思って譲ろうとしたのだが、気を悪くされたのなら、しょうがない。世の中にはいろんな人がいる。席を譲ることがすべて正しいとは限らない。中には、立っている方が楽、という人もいるらしい。そんな人に対してはそれこそ余計なお世話だ。しかし、特殊な事情がなければ、席を譲られたら、素直にありがとうと言って座ればいいんじゃないだろうか。座る方が楽なのは言うまでもないし、厚意を無にすることもない。譲ったほうは譲ったほうで、また次も積極的に席を譲るようになるだろう。良い循環が生まれる。私はまだ、席を譲られるような年齢ではないが、一度だけ、海外のバスで席を譲られたことがある。年寄りに見えたのか、ひどく疲れているように見えたのか……。若い女性がとても自然にすっと譲ってくれた。訊けば、その地では年長者を重んじるのが当たり前だからだという。とても意外だったが、礼を言って座らせてもらった。確かに歩き疲れていたのでとてもありがたかった。

 必要な人には席を譲るように、と教育されてきた人は多いだろう。しかし、席を譲られたら素直に席を譲られるように、という教育はあまり聞いたことがない。旅行代理店のエアトリが2022年7月に実施した「優先席」に関する調査では、席を譲ることをためらった理由を聞いている。1位が「とても疲れていたから」(24.1%)だったのはわかるとして、2位は「以前に断られた経験があるから」(20.4%)、3位は「ご高齢の方に聞くのは失礼に当たるかもしれないから」(20.0%)だった。相手のことを思いやる、というのはお互い様だ。譲る方だけでなく、譲られる方も相手を思いやれば、もっと気持ちよく暮らせる社会になるのではないだろうか。(BCN・道越一郎)