【喜びの原点・2】 メルコホールディングスの創業者・牧誠氏の写真や資料、当時を知る関係者から、牧氏がつくった経営理念「メルコバリュー」の原点を振り返る連載「喜びの原点」。1990年前半の販売促進会議の様子を撮影した一枚の写真で、中央の牧誠氏の正面右奥に座るシマダヤの豊岡誠史監査役に、躍動感あふれる当時の様子を聞いた。

1990年前半の販売促進会議。中央に創業者・牧誠氏、
正面右奥に現・シマダヤの豊岡誠史監査役が座る

大ヒットしたプリンターバッファー

 牧氏が2018年4月3日に69歳で逝去したとき、豊岡氏は66歳だった。わずか3年しか歳が離れていない。豊岡氏が1988年にメルコに転職したのは33歳のとき。「社長室で1時間半ほど受けた面接で、牧社長は仕事について熱心に話すので、とてもまじめな方、という印象だった」と、当時の牧氏の印象を語る。そこから2人は、33年の付き合いになる。

 写真の販促会議からは、製品カタログと売上表を広げたテーブルで牧氏と社員たちが明るく談笑している様子が伝わる。当時は、「バッファロー」の社名の由来にもなったプリンターバッファーがヒットし、稼ぎ頭だったときだ。

 1982年にNECのPC-9800シリーズが登場。それまで企業などの業務用途がほとんどだったコンピューターを、「パーソナルコンピューター」として家庭の個人でも使える機器として、普及し始めるきっかけをつくった機種だ。

 ただ、当時のPCは標準メモリーがわずか128KB(キロバイト)程度で、MB(メガバイト)やGB(ギガバイト)でもない。1KBと1GBでは、100万倍の容量差があることからも、今から振り返ってみれば、当時、PCのメモリーのスペックは貧弱だった。

 そのため、プリンターで印刷するとPCが使えなくなるのは当たり前の状況だった。印刷が終了するまで、操作ができずに待ち続けるしかなかったのだ。とくに、設計図や図面の印刷には膨大な時間がかかり、ユーザーのストレスも大きかった。

 そこでメルコが開発して製造したのがプリンターバッファーだ。PCとプリンターの間のメモリーを介し、PCから送られてくるデータをバッファリング(緩衝)しながらプリンターに送ることで、印刷中でもPCが操作できるようにして大ヒットにつなげた画期的な製品だ。初号機は、1982年11月に発売した「PB-32」である。
 
「プリンターバッファー」
(メルコグループ40周年 記念サイト「バッファローアーカイブス」より)

当然のように行われていたVOC活動

 そのプリンターバッファーがメルコの稼ぎ頭だった頃、販促課長を務めていた豊岡氏の脳裏に、今でも強く焼き付いていることがあるという。

 「牧社長が修理部門を『フィールドリサーチ(FR)』と名付けたのです。お客さまが使っている製品の不具合を修理をして直すことだけが目的ではなく、お客さまが使っている環境で一体何が起きているのかの原因を調べるのが目的だったのです。自分がつくった製品に愛着があるのはもちろん、部署をひとつつくるにも経営の姿勢や意志を込めていました」と振り返る。
 
牧氏と30年以上の付き合いがあったシマダヤの豊岡誠史監査役

 フィールドリサーチの名前の通り、単に修理をするためだけの部門ではなく、現場に眠っている顧客の声をリサーチして拾うことこそが、顧客満足度(CS)の向上や製品の改良につながる。今でこそ、Voice of Customer(VOC)という言葉は、CSの分野のキーワードになっているが、メルコでは90年代から当たり前のように使われていたというわけだ。

 豊岡氏は、プリンターバッファーが、PCやプリンターのようなマザーマシンではなかったことも、牧氏のフィールドリサーチという考え方に影響を与えたのではないかとみている。

 「当時は、プリンターやPCとつなぐための規格はありませんでした。そのため、さまざまなプリンターメーカーやPCメーカーから新製品が出るたびに最適化させる必要がありました。PCやプリンターのマザーマシンが変われば、それに順応させなければならなかったのです」。

 また、こうも語る。「FRが実際にお客さまの場所に行き、製品が古くても買い替えるのではなく、新しいプリンターやPCに合わせるための調整をします。プリンターバッファーは完成品ではなく、より良いものに進化させ続ける製品。フリーダイヤルのコールセンターに電話がかかってきた顧客のところに行き、現場で起きている課題を情報として収集し、新しい機能を開発して、つながるようにする。お客さまのために常に良くしていこうという姿勢、これがメルコバリューの『顧客志向』にもつながっているのだと思います」。

 顧客が抱える課題を解決する製品を生み出し、購入した製品は顧客の声を反映させながら常に改良を加えて進化させていく。プリンターバッファーの販売シェアは一時、85%に達するほど、顧客から受け入れられた製品となった。(BCN・細田 立圭志)