「一人」を哲学したことが仕事のフィールドを広げた――384人目(上)

千人回峰(対談連載)

2025/12/05 08:05

朝井麻由美

【対談連載】コラムニスト 朝井麻由美

構成・文/小林茂樹
撮影/長谷川博一
2025.9.24/東京都渋谷区の南青山クリエイティブスタジオにて

週刊BCN 2025年12月8日付 vol.2085掲載

【東京・原宿発】朝井さんのお父さまは、作家・コラムニストの泉麻人氏。テレビなどのメディアにもしばしば登場する博識な著名人だ。父親が有名人であるがゆえのプレッシャーなどなかったかとお聞きすると、特に影響することはなかったとのこと。小さな頃は仕事の内容をぼんやりとしか理解していなかったものの、クイズ番組に出て賞品のカニや肉を持ち帰ってくる様子を見て、「仕事でカニをもらえるのっていいな」と思ったそうだ。確かにちょっとうらやましい。
(本紙主幹・奥田芳恵)

2025.9.24/東京都渋谷区の南青山クリエイティブスタジオにて

子どもの頃からの凝り性とこだわりは今も変わらない

奥田 事前にお願いしていた「お気に入り」の品ですが、こんなにたくさんお持ちいただいて恐縮です。

朝井 ご覧のように、これは誰もが見たことのある商品などのミニチュアで、中身は消しゴム、メモ帳、付箋、ポーチなどです。今日持ってきたのはその一部で、家にはこの4~5倍はあります。

奥田 すごい!とてもかわいいものばかりですが、こうしたコレクションはいつ頃から?

朝井 小・中学生の頃から好きでしたが、子どものうちはそんなに買えないじゃないですか。お金を稼ぐようになって、大人買いをするようになってから一気に増えましたね。

奥田 大人になって、それまで抑えていた何かが外れた感じですね。このミニチュアの魅力は、どんなところにあるのでしょうか。

朝井 ときめきを与えてくれて、心の栄養になっているんです。そして、もともと私は収集癖があり、好きなものにはのめり込むほうなので、こうしたもののほかにも、マンガやアニメ、ゲームなどでも「図鑑埋め」をするなど、コンプリートしたいタイプですね。だから、街中や大きな駅でカプセルトイのコーナーを見つけると、つい何回もやってしまいます。

奥田 幼少期は、どんなお子さんでしたか。

朝井 子どもの頃も、凝り性だったりこだわりがあったりと、今と根本的なところは変わらないですね。当時から一つのことを掘り下げることに熱中するタイプで、ゲームで図鑑埋めをしていましたから同じですね。

奥田 ご家族は、それについて何かおっしゃいましたか。

朝井 父もそういうタイプなので、そうした点については受け入れてくれていましたね。

奥田 お勉強のほうはいかがでしたか。

朝井 勉強も同じで、一点集中型でしたね。目標さえ決まればゴールに向けて徹底的にやり込んでいたので、結果は出せていました。闇雲にやるのではなく、自分で成績が上がる勉強の仕方を見つけてからの伸びが大きかったです。最初は塾に通わされていたのですが、私にはあまり合わず、効果が出ませんでした。そこで、中学2年生の頃、たまっていた通信教育の添削教材をやり込んでみたら、それまでオール3くらいだった成績がオール5に急上昇したんです。

奥田 挫折する人の多い通信添削ですが、なぜそこまでできたのでしょうか。

朝井 私は、人から情報を浴びせられるより、自分のペースでじっくりと理解したいタイプです。ですから、塾のような「人が教えてくれる」スタイルの勉強法よりも、自分で自分をひとつひとつ納得させていくやり方のほうが合っていたんですよね。教材の中で難しいところはノートに書き写して、その仕組みを理解できるまでやり込みました。

奥田 それで、朝井さんの場合は、塾よりも通信添削がフィットしていたと。

朝井 はい。また、定期試験のとき、親が「とった点数×10円」のお小遣いをボーナスとしてつけてくれたのも効果的でした。つまり、5教科全てで100点をとれば、5000円もらえます。期末テストは9教科でしたから最大9000円。中学生にとっては大金ですから、10円でも多くもらいたいと思い、モチベーションが上がったわけです。

奥田 なるほど、それは燃えますね(笑)。

朝井 私は目標がないと何もしないのですが、こういう目標があるとやる気が出ますし、成績が上がって周囲から「すごい」と言われたこともモチベーションを高めました。その性格を利用した両親の作戦勝ちですね。

「一人が寂しい」という感覚が分からない

奥田 今、お仕事をなさっていく上で、そうした性格が反映されている部分はありますか。

朝井 自分なりに一つのことを掘り下げていくという点は共通していると思います。

奥田 具体的には、どんなことですか。

朝井 『ソロ活女子のススメ』というドラマ化された書籍があるのですが、その元は、一人でどこかに行って何かを体験するというエッセイの連載でした。どこかに行って、その内容を書くだけで成立する企画でしたが、私はそこに自分なりの考察を加えたのです。

奥田 表面をなぞるだけでなく、まさに掘り下げたのですね。

朝井 そうですね。「一人で行ってどう感じたか」「みんなで行くのとどう違うのか」「一人って何だろう」と思考したことを言語化しました。いわば一人を哲学したわけです。それが面白がられて連載が書籍化され、その後のドラマ化につながったのだと思います。

奥田 一人を哲学するというのは、かなり壮大なテーマですね。

朝井 それまでは、あまり一人について考えることはありませんでした。私にはグループ行動になじめなかった過去があり、大勢でいるよりも一人でいるほうが気楽です。そのせいか「一人が寂しい」という感覚が分からないのです。少なくとも、世間から「ソロ活の人」と認識されてからは、一人が寂しいと感じたことはありません。

奥田 グループ行動になじめなかったということですが、子どもの頃はどんな状況でしたか。

朝井 小学校から高校までは学校だけが唯一の世界であり、グループ行動をすべきという無言の圧力がありました。ネットもまだ黎明期で、ほかの情報や価値観に触れることが難しい時代でした。そのため、出る杭にならないように、変なヤツと思われて、いじめられないようにしていました。元来、協調性がないのに無理に合わせて生活していたので、常に苦しかったですし、うまくいかないことも多々ありました。もちろん、校風によって異なるのでしょうが、個性を出しづらい雰囲気だったのです。

奥田 それは精神的につらいものがありますね。

朝井 ところが、私が進学した国際基督教大学(ICU)の空気はまったく違いました。帰国子女や外国人留学生が多く、多様性に満ちていたんです。もう20年くらい前のことですが、当時からジェンダーの研究なども行われていて、現在盛んに世間で言われている人権や男女平等、多様性といったことが普通に語られていました。

 入学式での学長のスピーチに「勇気あるマイノリティーを」というフレーズがあったのですが、これを鮮明に覚えています。高校までは出る杭にならないよう個性を殺してきた自分に、そんなことをしなくていいんだと思わせるものでした。

奥田 ICUに入って、初めて解放された感じでしょうか。

朝井 そうですね。キャンパスでも、一人で行動してもいいし、その場にたまたまいる人と過ごしてもいい。すべてが自由でした。いつも同じメンバーで行動しなくていいことで、それまで私の中になかった選択肢をもらえたと感じました。

奥田 後半ではお仕事の話を中心に、もう少し深掘りしてうかがいたいと思います。(つづく)

さまざまな商品や弁当箱などのミニチュア

対談の冒頭でご紹介した朝井さんのコレクション(のほんの一部)。ミニチュアと記したが、原寸大のものもあれば巨大化させたものもある。老若男女を問わず「かわいい・懐かしい・いとおしい」という感情を刺激する不思議な品々だ。
 


心に響く人生の匠たち

 「千人回峰」というタイトルは、比叡山の峰々を千日かけて駆け巡り、悟りを開く天台宗の荒行「千日回峰」から拝借したものです。千人の方々とお会いして、その哲学・行動の深淵に触れたいと願い、この連載を続けています。

 「人ありて我あり」は、私の座右の銘です。人は夢と希望がある限り、前に進むことができると考えています。中学生の頃から私を捕らえて放さないテーマ「人とはなんぞや」を掲げながら「千人回峰」に臨み、千通りの「人とはなんぞや」がみえたとき、「人ありて我あり」の「人」が私のなかでさらに昇華されるのではないか、と考えています。

 
奥田喜久男(週刊BCN 創刊編集長)
 
1000分の第384回(上)

※編注:文中に登場する企業名は敬称を省略しました。

Profile

朝井麻由美

(あさい まゆみ)
 東京都出身。都立西高校を経て、国際基督教大学教養学部卒業。出版社勤務の後、フリーのライター・コラムニスト・編集者として、サブカルチャー、女子カルチャー、グルメなど、雑誌やウェブに多くの連載を持つ。著書に『ソロ活女子のススメ』(大和書房)、『「ぼっち」の歩き方』(PHP研究所)、『ひとりっ子の頭ん中』(KADOKAWA)。『ソロ活女子のススメ』は2021年にテレビドラマ化され、25年にはそのシーズン5が放送された。居酒屋専門家としての顔もあり、『二軒目どうする?』(テレビ東京系)にも17年から出演中。