「キャリアアップしたい」ではなく「役立ちそう」「面白そう」で仕事に飛び込む――374人目(下)

【対談連載】フューチャーセッションズ 代表取締役社長 有福英幸

構成・文/小林茂樹
撮影/長谷川博一
2025.5.30/東京都渋谷区のフューチャーセッションズにて
週刊BCN 2025年7月7日付 vol.2066掲載
【東京・原宿発】有福さんにフューチャーセッションズの業務内容やその役割について伺っていると、たびたび「自分ごと」や「共創」といった言葉が出てくる。環境問題をはじめとする個人の力では太刀打ちできないようなことであっても他人任せにせず、多くの知恵を結集して問題解決に結びつけるという意味合いであると理解したが、よくよく考えてみると、これは極めて遠大な事業なのだ。だからこそ、地道な努力と熱い思いを持ち続けることと、生身のコミュニケーションがその肝となるのだろう。
(本紙主幹・奥田芳恵)

子どもの頃から変わらないデザイン志向
奥田 ところで有福さんは、子どもの頃、どんな仕事に就きたいと思われていましたか。有福 小さなときから絵を描くのが好きで、中学生の頃は建築家になりたいと思っていました。家の設計図を見て、とても面白いと感じたんですね。
奥田 大学は工学部の工業意匠学科に進まれていますね。
有福 工業意匠というのは、工業デザインのことです。当初は建築に進もうと思ったのですが、デザイナーの道も面白いと考えました。工業意匠学科の中ではアート寄りの造形を専攻したのですが、この学科では、計画、材料、グラフィック、人間工学、アートというように、総合的に幅広く学べたのでとても得るものが多かったですね。
奥田 どんなジャンルのデザイナーになろうと思われたのですか。
有福 当時考えていたのは、自動車や家電などのプロダクトデザインですね。でも、デザインといっても、モノだけでなく空間のデザインやシステムのデザインもあり、今はコミュニケーションや場のデザインに携わっているわけですから、改めて振り返ってみると根本的なところは変わっていないですね。
奥田 中学生の頃の志が、現在までつながっているのですね。有福さんはどんな家庭環境で育ったのでしょうか。
有福 私は男3人兄弟の長男ですが、親からうるさく言われたことはなく、勉強も自分からやる、いわば真面目なタイプでした。分からないことがあるということが嫌いだから、勉強したんです。
奥田 分からないことが嫌いだから勉強するというのは、当たり前のようでなかなかできないことだと思います。子どもの頃から一本、芯が通っていたのですね。
この会社の社長は交代制にしてもいい
奥田 お仕事の話に戻りますが、共同創業者の有福さんが社長に就任されたのは創業7年後の2019年7月です。就任に際して、どんな思いがありましたか。有福 それまで社長を務めていた野村恭彦氏が、京都を本拠に新会社(Slow Innovation)を会社分割により設立したため、私と副社長の筧大日朗氏が共同代表で経営を引き継ぐことになりました。
創業時から特に役割分担することもなく、3人で試行錯誤してやってきたのですが、私自身は社長になることを望んでいたわけではありませんし、自分がなるとは全く思っていませんでした。だから、社長になった思いよりも、直後に発生したコロナ禍への対応のほうに苦慮しましたね。
奥田 やはり、コロナの影響は大きかったですか。
有福 私たちの仕事は、リアルで、多様な方々が一堂に会して対話をし、そこからアクションを生み出すというプロセスを大事にしていたので、それが一気にできなくなり、正直なところ戸惑いました。もちろん、オンラインで対処した部分もありましたが、止まってしまった案件も多かったですね。
奥田 コロナ禍を境に、求められるものに変化はありましたか。
有福 コロナ禍前は、次に向けてどのように事業の柱を構築していくかといった新規事業の話が多かったのですが、ああいう状況に陥ると、既存事業をどう固めるかとか、この機に自社のパーパスを見つめ直すといった、どちらかというと社内の状況を整えることにかじを切る企業が多かったですね。ただ、コロナが明けてからは、また新規事業の話も増えてきています。
奥田 やはりコロナの時期は、企業のマインドも内向きになりがちだったのですね。ところで改めて伺いますが、オンラインではなく、リアルな場で向き合って話すことのよさはどこにあるのでしょうか。
有福 いろいろありますが、リアルな場ではそれぞれが集中して話し合いに臨めることが挙げられるでしょう。やり方にもよりますが、オンラインだと順番に話しているだけで、深い対話になっていないことが多いのです。
また、対面の場合は非言語コミュニケーションが非常に多いこともメリットとして挙げられます。対面だと言葉以外の表情や雰囲気の変化などで、相手がどう感じているのか敏感に察知することができますが、オンラインではそこがつかみにくいです。言語表現にしても、オンラインだと過不足なくきちんと理解できるよう正しく伝える必要がありますが、対面だと多少曖昧な表現でも、その場の空気感で文脈が理解されたり、理解しようという姿勢が受け手にも見られます。こうした相互に理解し合っていこうという態度がコミュニケーションをとる上で大切だと思います。
奥田 先ほど、社長になりたいとも、なるとも思わなかったとおっしゃいましたが、6年間務められてどうお感じですか。
有福 そんな器ではないと思っていましたが、やってみて分かる部分もありました。社長といえども一つの役割なので、経験したほうが得ることは多いとは思いましたね。
よく「経営者目線に立て」などといわれますが、それは実際に経営者になってみないとできないことです。だから、うちの会社では交代制にしてもいいと考えているんです。
奥田 交代制ですか!
有福 社長という役割に就いて分かることもあるし、社長になったら社長として振る舞わなければならないこともあります。そのポジションがその人の成長を促すことにつながりますから、社長交代制はチャレンジしてみたいことの一つです。
奥田 今後、どのような人生を歩まれていきたいと考えていらっしゃいますか。
有福 実はこれまで、自分がこういうふうにキャリアアップしていきたいと思ったことが一度もないんです。よく言えば適応力があったのだと思いますし、悪く言えば場当たり的だったんです。転職も何度かしていて、そのときそのときで、これからの時代に役立ちそうだとか、これは面白そうという思いから、その世界に飛び込んでいきました。
奥田 そうだったのですか。ちょっと意外です。
有福 だから、自分がどうなりたいと考えたこともないし、今もあまり考えていません。ただ、この会社がどうあるべきとか、そのために自分が何を担うべきかという思いはあります。先代社長はパワフルでみんなを引っ張っていくタイプでしたが、自分はそういうタイプではないので、きちんと組織としてのかたちを整え、次に向けて成長できるような仕組みづくりをしていくとともに、後継者の育成にも力を注がなければと考えています。
奥田 本日は、興味深いお話を聞かせていただきありがとうございました。これからの展開も楽しみにしております。
こぼれ話
原宿駅や表参道駅が徒歩圏内という立地ながら、緑と静かな住宅街が広がるエリアにオフィスを構える有福英幸さん。建築物としての貴重さから、保存も検討されているというヴィンテージマンションだ。原宿は、仕事だけでなくついでに買い物ができたり、趣味を楽しめたりする街で、面白さがあるのだそう。「あいにく今日は雨ですけど」と、少し残念そうな表情で窓に視線を移す。集合知によってイノベーションを起こしていくという有福さんの仕事は、対話を通じた共創の促進に取り組み、複雑化するさまざまな問題にじっくりと向き合っていくものが多い。会話の中に結論を探し始めるせっかちな私は、コミュニケーションのあり方を考えさせられる機会となった。
私は常に何かを決めようと思って相手の話を聞いている節があり、「対話」には程遠い。「社長業とは決断の連続」と言われればそうなのだが、対話を選択したり、促したりしなければならないときはなかっただろうかと振り返る。そして反省。
子育てについて話が及ぶと、「子どもたちは自ら考えて創造することを大切にしている」とおっしゃる。私はたまらず「5歳の娘が大量に創作物を持ち帰ってくるんですけど、何をつくったか分からないものが多いんです!」と訴えてしまった。
「そうですよね。写真を撮ってあげたりして、それを大事に扱ってあげることが大切ですよね。最終的に捨てるとしても」と有福さん。「見てもらいたい、自分でつくれた、楽しかった」。そんな気持ちを受け取ってあげることができていたかなと、またしても反省。
社長交代制が実現されたら会社がどのように変化したのか、また、ぜひお話をお伺いしたい。持続可能な組織にしていくためには、組織を整え仕組み化していくことは、とても重要なことだ。確固たる事業基盤に強い組織の確立、その先に社長交代制の実現を見据える有福さんのチャレンジに期待したいと思う。
(奥田芳恵)

心に響く人生の匠たち
「千人回峰」というタイトルは、比叡山の峰々を千日かけて駆け巡り、悟りを開く天台宗の荒行「千日回峰」から拝借したものです。千人の方々とお会いして、その哲学・行動の深淵に触れたいと願い、この連載を続けています。
「人ありて我あり」は、私の座右の銘です。人は夢と希望がある限り、前に進むことができると考えています。中学生の頃から私を捕らえて放さないテーマ「人とはなんぞや」を掲げながら「千人回峰」に臨み、千通りの「人とはなんぞや」がみえたとき、「人ありて我あり」の「人」が私のなかでさらに昇華されるのではないか、と考えています。
奥田喜久男(週刊BCN 創刊編集長)
<1000分の第374回(下)>
※編注:文中に登場する企業名は敬称を省略しました。
※編注:文中に登場する企業名は敬称を省略しました。
Profile
有福英幸
(ありふく ひでゆき)
1972年、横浜市生まれ。96年、千葉大学工学部工業意匠学科卒。広告会社で企業のブランディングやデジタルコミュニケーションに従事。デジタルクリエイティブの新しい表現に挑戦し、CannesやOne Showなど国内外の広告賞を多数受賞。また、サステナブルな社会を目指すWebマガジンを発刊し、編集長として運営を手掛ける。2012年6月、フューチャーセッションズ創業。19年7月、同社代表取締役社長に就任。京都先端科学大学国際学術研究院特任教授(非常勤)。