経営とはあらゆることを取りなしていくこと 新たな道もその延長線上にある――第165回(下)

千人回峰(対談連載)

2016/08/04 00:00

西岡 隆男

ニコンイメージングジャパン 前社長 西岡隆男

構成・文/浅井美江
撮影/大星直輝

週刊BCN 2016年08月01日号 vol.1639掲載

 西岡さんは、問いかけに対して非常にていねいに、言葉を選んで答えてくれる。一方、少し意地悪な質問には、先手を打たれてはぐらかされる。突っ込めば、柔らかく受け止め、ほめればさらりとかわされる。質問に応じながら、第三者としての西岡さんが適度な距離を調整しているのだろう。考えてみれば、経営とは、常にあらゆることを取りなしていくことでもある。西岡さんが選んだ新たな道は、一本目からの地続きだったのだ。(本紙主幹・奥田喜久男)

2016.5.17/東京・千代田区のBCN22世紀アカデミールームにて
 
心に響く人生の匠たち

 「千人回峰」というタイトルは、比叡山の峰々を千日かけて駆け巡り、悟りを開く天台宗の荒行「千日回峰」から拝借したものです。千人の方々とお会いして、その哲学・行動の深淵に触れたいと願い、この連載を続けています。

 「人ありて我あり」は、私の座右の銘です。人は夢と希望がある限り、前に進むことができると考えています。中学生の頃から私を捕らえて放さないテーマ「人とはなんぞや」を掲げながら「千人回峰」に臨み、千通りの「人とはなんぞや」がみえたとき、「人ありて我あり」の「人」が私のなかでさらに昇華されるのではないか、と考えています。
 
株式会社BCN 会長 奥田喜久男
 
<1000分の第165回(下)>

※編注:文中に登場する企業名は敬称を省略しました。
 

人の一生に関わる カメラの存在意義

奥田 もう少し光学系の話を聞かせてください。ニコンの仕事をされていた時に、大切にしていたことはなんですか。

西岡 後輩にも言っていましたが、「自分は人の一生に関わる仕事をしているという意識をもて」と。

奥田 それはどういう意味でしょう。

西岡 写真というのは、人がお母さんのお腹にいる時から、お母さんの妊婦姿を写します。出産後には赤ちゃんを撮りますよね。そして、その子が幼稚園、小学校と成長する節目節目に関わるのが写真なんです。写すカメラ、できあがった写真、それらがもたらす喜びが、自分たちのビジネスなんだということを意識しないといけないんじゃないか、という話をしてましたね。

奥田 写真というものがもつ“機能”ではなくて、写真に対する人の“思い”とか“命”ということでしょうか。

西岡 そうですね。そして、写真を写すカメラは、道具ではあるんだけど、単なる道具とも言い切れないところがあるんじゃないかと。

奥田 何年か前から、スマートフォンで写真を撮る人が増えてきました。記者会見でもスマートフォンで撮る記者がいますからね。

西岡 10年くらい前だったでしょうか。ある神社に行ったら、ちょうど七五三の時でした。すると、撮影している人のなかに今でいえばガラケー(当時はカメラ付携帯)だったかで撮ってる人がいたんですよ。当時の私の感覚でいうと、子どもの一生に関わる行事をそれで撮るのかと。

奥田 しっかりしたカメラで撮れよと。

西岡 そうなんです。ショックを受けました。かなり前ですから、画質も今ほどいいものではなかったと思うんです。だからこそショックでした。カメラ、あるいは写真がこれからどうなっていくのかという議論になるかもしれないと思いました。

奥田 最近は、撮るだけで、印画紙に焼くということがほとんどありませんよね。

西岡 それもあります。写真の見せ方、共有の仕方が変わってきています。だからこそ、“何を撮るのか”というところに立ち戻るのかもしれません。要するに写真を撮るという行為はどういう意味なのかと。

奥田 それを介在させると、議論がスムーズに進む気がします。

西岡 スマートフォンで撮る、という人はそれもいい。だけど、この一瞬、この一枚はカメラで撮りたいという風に、使い分けがされていくのかなと。

奥田 以前、他のカメラメーカーの方と話をしていたときに、根幹の話になったんです。カメラっていってみれば無味乾燥な製品ですよね、命が介在しないというか。だからこそ、一生懸命哲学をチューニングしているという感じをすごく受けました。

西岡 それは、カメラの存在意義ということなのだと思います。先ほど話した写真を撮るということに関わる製品であること、そしてもう一つは“もつ喜び”ですね。撮るだけであれば、別のもので代替えはできると思います。だけど、もつ喜びというのは、日常的に使うものと必ずしも同じフィールドではない気がしますよね。嗜好品という言葉が正しいのかどうかわかりませんが。

奥田 “もつ喜び”。なるほど、わかります。
 

みえないところに手をかける 不器用で真面目な会社

奥田 改めてうかがいますが、ニコンというのはどういう会社だったですか。

西岡 一言でいえば、不器用で真面目な会社ですね。これだと二言か(笑)。自分のなかでは不文律というか、分けられないんです。でも、どちらかというと、より上位にあるのは真面目。真面目であるがゆえに不器用なんだろうなと思います。自分はニコンにいてよかったと思っています。

奥田 集団を組織している人にそういう方が多いんですか。それとも社是からそういう風に育つんでしょうか。

西岡 社是ではありませんね。ニコンは来年創立100年になるんですが、その歴史のなかで培われてきたということでしょうか。ニコンに勤めているからこそ、そうあるべきだという考え方の人が育っていき、そういう人がまた次の人を育てていく、ということだと思います。

奥田 なるほど。

西岡 とくに技術に対する誇りはあると思います。それにもとる行為をしてはいけないということですね。

奥田 かつて、ニコンの関連会社の方から、工場でレンズを磨く光景を一度見に行ってみれば、と言われたことがあります。それはていねいなものだと。

西岡 私も工場の方からよく聞いていました。例えば、スペック表などに表されることのない、みえないところに本当に手をかけているんだと。耐久性や精度へのこだわりかもしれないし、スペックというものに対しての考え方もあるのかもしれませんが、ニコンというのは、本当に真面目にもの事を表そうという会社だと思います。

奥田 そういう会社を率いていらした西岡さんが、家庭裁判所の委員という……。いや、僕はしっくりくるんですけどね。西岡さんは行き着くところに行かれたなと。

西岡 そうですか(笑)

奥田 顔立ちが変わられたんですよ。何かね、お顔の発色が違うというか。いろいろなケースに遭遇されると、ご自分との対話が何十倍も何百倍も増えると思うんですが。

西岡 それは会社にいてもそうですが、何か性質が違うかもしれません。自分だけで完結しない。まあ、ビジネスもすべて自分で完結するわけじゃないけど、判断や決断は自分が最終的に下して、責任をもつ。ですが、委員は当事者ではありませんから、最終的な責任というのはもてません。だけど結果に対して、人さまの人生に深く関わるので、違う意味合いでの責任は負っているとは思います。

奥田 緊張感があるでしょうね。

西岡 自分が考えていた以上に委員の人達は、とにかく使命感がすごい、それと勉強熱心。仕事の能力を上げるという向上心もすごいです。そのための勉強会もひんぱんにあります。

奥田 それは自主的にですか。

西岡 そうです。思えばニコンに在籍していたからこそ、奥田さんともお会いできて、今日もおかげでここにいるわけですが、昨年から家庭裁判所の委員という世界にいると、そこにいる委員仲間、あるいはそこに来られる当事者など、これまで自分が接することのなかったさまざまな方々と出会うわけです。この年齢にして、新たな展開を毎日のように感じますね。

奥田 実に西岡さんらしいです。今日は本当にありがとうございました。
 

 

こぼれ話


 ニッコールクラブの会長を引退されると聞いて、対談をお願いした。「西岡さん、お久しぶりですね」。お会いするなり、以前と違った体温が伝わってくる。この雰囲気は何だろうか。思案しながら会話をするうちに、家庭裁判所の委員に就かれたことがわかった。「まあ、大変重い仕事に就かれましたね」。「はー、えー、まー」と、この相づちは西岡節だ。

 当日は、その仕事を終えて走って来られた。ネクタイ姿で汗をかいておられるので、「西岡さん、クールビズでスタートしましょうよ」。汗を拭きながら対談は始まった。「顔つきといいますか、雰囲気が以前と変わりましたね」。そんなことないでしょうと言いつつも「実はある人からも同じようなことを言われましてね」。

 厳しい眼差しから感じる透明感というか、気迫というか、そのような印象は写真からも感じ取ることができる。昔も今も西岡さんの是々非々の姿勢は相変わらずだが、以前は内側に仕舞っておられたものが、今は外に向けて輝いている。そんな印象だ。さらに続けると、今の西岡さんの生き方に美しさを感じるのは私だけだろうか。家庭裁判所の案件には正解がないだけに、是々非々の姿勢で苦悶する時間を過ごしておられる西岡さんの姿を思う。どうもこの時間が研磨剤になっているのではないか。またお会いしてみよう。

Profile

西岡 隆男

(Takao Nishioka)
 1951年大阪生まれ。74年日本光学工業(現ニコン)入社後、カメラ営業部営業課を振り出しに、営業現場一筋。2004年4月、ニコンカメラ販売(現ニコンイメージングジャパン)取締役社長に就任。07年4月からニッコールクラブ会長を兼任。退職後、15年春から最高裁判所より任命され、非常勤の国家公務員である家庭裁判所の委員を務める。