北の大地に根づくU-16プロコン 「旭川モデル」として釧路、帯広へ――第156回(下)

千人回峰(対談連載)

2016/03/24 00:00

下村 幸広

北海道旭川工業高等学校 情報技術科教諭 下村幸広

構成・文/小林茂樹
撮影/長谷川博一

週刊BCN 2016年03月21日号 vol.1621掲載

 下村先生は語る。「U-16プロコンを通じて、パソコン好きの子に胸を張ってもらえるようにしたい」と。先生が教鞭をとる別名“おたく科”いや情報技術科は、そういわれるのだそうだ。「そんな偏見をなくしたい」という先生の話を聞いていたら、U-22プロコンの実行委員長を務めるサイボウズの青野慶久社長の言葉を思い出した。「私は中学生・高校生のとき“パソコンおたく”と変人扱いされていました。でも、『プログラミングができる=かっこよくモテる』にしなければいけません」。まさに同じ思いだ。若きITエンジニアの卵たちに、もっと光をあててあげたい。(本紙主幹・奥田喜久男)

2016.1.28 /東京・千代田区のBCN22世紀アカデミールームにて
 
心に響く人生の匠たち

 「千人回峰」というタイトルは、比叡山の峰々を千日かけて駆け巡り、悟りを開く天台宗の荒行「千日回峰」から拝借したものです。千人の方々とお会いして、その哲学・行動の深淵に触れたいと願い、この連載を続けています。

 「人ありて我あり」は、私の座右の銘です。人は夢と希望がある限り、前に進むことができると考えています。中学生の頃から私を捕らえて放さないテーマ「人とはなんぞや」を掲げながら「千人回峰」に臨み、千通りの「人とはなんぞや」がみえたとき、「人ありて我あり」の「人」が私のなかでさらに昇華されるのではないか、と考えています。
 
株式会社BCN 会長 奥田喜久男
 
<1000分の第156回(下)>

※編注:文中に登場する企業名は敬称を省略しました。
 

高校生、高専生が中学生を指導する仕組み

奥田 2010年秋に開かれた高校プロコン出場から、翌年9月の第1回U-16旭川プロコンの開催まで1年もなかったわけですが、開催にこぎつけるまでスムーズに進んだのですか。

下村 実は、実行委員会で内容を検討している過程で、「プログラムではなくロボットをやりたい」という意見が出ました。でも私は、お金がかからず、始めやすいもののほうがいいと主張しました。「プログラミングはパソコンさえあればできます」と。あれを買わなければいけないとか、あそこに行かなければいけないといった制約なしに、思いついたらすぐに取り組めて、熱中できるようにしてあげたいと思ったわけです。その思いに納得していただいて、プログラミングでいくことになったという経緯があります。

奥田 それは大正解ですね。ボールがあればできるサッカーと同じだ。実際の運営はどのように。

下村 プログラムの仕組みは高校プロコンとほぼ同じです。この仕組みはけっこう柔軟なので、簡単にもできるし、難しくもできます。ですから、中学生対象でも応用がきくのですが、高校プロコンと異なるのは、誰が指導するのかということでした。つまり、中学校の先生でプログラミングの指導ができる方はまだ少ないんです。

奥田 教えてくれる人が身近にいないと、参加者も集まらない……。

下村 そうです。実は学習指導要領で情報系のカリキュラムの割合が増え、いまの中学生はプログラムが必修なんですが、なかなかそこまで追いついていない現実があります。

奥田 昔は「読み・書き・そろばん」、いまは「読み・書き・ITスキル」ですね。

下村 そこで中学校の先生には、パソコンが得意そうな子どもに「こんなコンテストがあるから出てみないか」と肩を叩く係をお願いして、指導はうちの旭川工業高校の生徒と旭川工業高専の学生が行うことにしたのです。

奥田 よく考えつきましたね。生徒や学生に指導させるという発想はどこから出てきたんですか。

下村 私は、教えることが自分にとって一番の勉強になると思っています。年齢も近いし、「うちの学校に来いよ」というスカウトもできるかもしれないですし(笑)。教えるための資料も全部、高校生・高専生たちがつくっています。

奥田 教えることが一番の勉強、ですか。これが 「旭川モデル」ですね。いいですね。

下村 全体で集まって教えるのは夏休み中に2回。それ以降は出前授業です。呼ばれたら放課後や休日に中学校に出向いて、うちの情報処理部の生徒たちや高専の学生が教えに行ってステップアップさせていくというかたちです。

 教えに行った生徒には、企業からいただいた協賛金から交通費として1500円を渡しています。どうもそれがいいお小遣いになっているようですが、生徒たちは教えるために一生懸命予習して、何を聞きたいのか事前に聞いて、それをあらかじめ調べて……と、本人にとってもとてもいい勉強になっていると思います。

奥田 そういう循環は先生が考えられたのですか。

下村 お金集めはできませんが、こういうことは得意ですね。(笑)
 

北海道内に広がるU-16プロコンの輪

奥田 旭川には、思いつきをすぐに実現するフットワークの軽い人が多いのでしょうか。アイデア満載の旭山動物園もありますし。

下村 札幌だったらこんなに簡単にはできないだろうと思います。ちょっとライバル意識もあるのかもしれませんが、動くとなると札幌のような大都市は大変です。旭川の場合は、産官学の連携がよく、小回りが利くのでやりやすいですね。

奥田 旭川のU-16が釧路にも飛び火したそうですね。

下村 前任校の釧路工業高校時代には、私が講師になってインターネットやプログラムなどITの勉強会を大人相手に開いていました。その受講生の方が、私が旭川でU-16を始めたと聞いて、釧路でも同じ仕組みでトライしてみようということになったのです。昨年秋には、第3回大会が開かれました。釧路に続いて帯広でもやりたいという話があって、そこでは旭川と釧路の大会の成績優秀者を集めて、全道大会を開きました。

奥田 大人がつくった輪を子どもたちが次の世代に伝えていく。それが地域を超えていく。U-16プロコンの輪がどんどん広がってきて、楽しみですね。「旭川モデル」とでもいうべきこの仕組み、子どもたちにプログラミングの楽しさを教えていくお手本になりそうです。

下村 私のプロコンのコンセプトは「子どもをほめるべし」ということ。単にほめて育てるというのではなく、「パソコンが好き」と胸を張って言えるようにしてあげたい。現代の世の中は情報技術なしには成り立たないにもかかわらず、いまだに中学生が「僕はパソコンが趣味です」というと、「根暗なおたく」といわれがちな現実があります。でも、ITで飯を食っている大人が「君たちは中学生なのにそんなことができるのか、すごいな」と言ってあげれば、自信をもって「パソコンが好き」と言えるようになるでしょう。そうした思いが、U-16プロコンを続けていく一番の原動力ですね。

奥田 旭川で5年間続けられて、変化はありましたか。

下村 ありました。最初は、「出てみないか」とパソコンが得意な中学生の肩を先生が叩くようなイメージでしたが、回を追うごとに、部活動の試合のような雰囲気になってきたんです。親も応援に来て、大歓声を上げて観戦し、もう運動部のようなノリです。負けてわんわん泣いている子も少なくありません。「ちょっとつくってみるか」というレベルではなく、本気で頑張っていることがうかがえます。そんな真剣な姿を見ると、ああ、いい経験ができたんだなあ、と感じます。子どもたちが喜んでいる姿が私たちの一番のエネルギーの源です。

奥田 先生ご自身も、若い頃は陸上やスキーで頂点を目指し、インターネット草創期からITの知識をほとんど独学で身につけられて、大変な努力をされています。

下村 その時そのときは確かに一生懸命ですが、本質的には楽しいことに熱中していただけです。スポーツでは負けたくないという気持ちがありましたが、とにかく楽しかった。そしてプログラムやネットなどIT知識の習得も、新しいことで世の中が変わりそうなワクワク感が先にあって、つらい思いなどありません。ただ、楽しいことに没頭していただけなんです。

奥田 何とも言えない気分に、いま、浸っています。

 

こぼれ話

 「日本の未来は子どもたちが創ります。私たち大人ができることは『ほめて自信をつけさせること』だと私は信じています」。2月にお便りをいただいた。熱い人だと思った。下村先生とは今回の対談が初対面だ。名刺交換をすると先生は「天候が大荒れでダメかと思いましたが、今日は行かなきゃいけないと覚悟して空港に向かいました」

 今回の対談には推薦者がいる。NPO法人ITジュニア育成交流協会理事長の高橋文男さんだ。理事長就任5年目になる高橋さんは、この間に全国のあちこちで開かれる子どもたちの大会には必ず顔を出して、先生方との信頼関係を築いてこられた。昨年秋の旭川U-16プロコンに参加して、東京に戻られるなり「ぜひ『千人回峰』で取り上げて欲しいなぁ。とにかく、すばらしい大会を運営しているのよ」。理事長の推薦とあれば「ぜひとも」とすんなりことが運んで、1月28日に対談となった。

 初っぱなは手こずった。とにかく謙遜が多くて話が前に進まないのだ。私の様子を窺っておられるようだ。10分ほどして合格したらしい。ご自分の話をグイグイと前面に押し出してこられた。アスリート当時の体験、工業高校の先生の道を歩むことを覚悟してからの出来事。そして5年前に出会った高校プロコンの全国大会での衝撃。その話を聞きながらこんどは私が衝撃を感じた。それが「旭川モデル」なのです。ITジュニアが世界に羽ばたく時代が必ず来る。

Profile

下村 幸広

(しもむら ゆきひろ)  1968年、北海道虻田郡喜茂別町生まれ。帯広工業高等学校の実習助手を経て、北海道教育大学釧路校大学院(技術教育)修了後、釧路工業高等学校に電気科教諭として赴任、その後、旭川工業高等学校情報技術科教諭、現在に至る。U-16旭川プログラミングコンテスト実行委員。