体が動くうちにリタイアし、次のことにチャレンジしたい――第31回

千人回峰(対談連載)

2009/01/13 00:00

東島 義澄

東島 義澄

日本システム開発 名誉会長

山歩きを再開したい

 奥田 私も「マイカルク」はよく覚えています。ところで、現在はどんな事業を中心に、どのくらいの陣容で行なっておられるのですか。

 東島 メインの事業は昔から変わらず、メーカーからの受託事業です。通信・ネットワークの基礎部分について、メーカーから試作を依頼されることが多いですね。それと、ここ数年の事業ですが、旅行会社といっしょに格安航空券の自動販売システムを開発し、実用化しています。「ena(イーナ)」というシステムですが、サイト上で航空券を検索し、そのままオンラインで予約・購入できるというしくみです。

 社員数は140名くらいで、外部スタッフを含めると総勢200名程度です。拠点は東京・新宿の本社と多摩にある開発センターの2か所ですが、社員数はここのところずっと同じくらいですね。だいたい年に10人退職し、新卒を10人採用するというような感じです。

 奥田 あまり変わらないとおっしゃいますが、この競争の激烈なIT業界でメーカーからの受託が途切れず、毎年新卒を10人も採用できるというのはすばらしいじゃないですか。

 東島 ……まあ、昔から長くやってきたということが、受託にも採用にもいえるんじゃないでしょうか。学生からは、安定した会社のように思われているようですし……。

 奥田 この東島さんの訥々とした「間合い」の話し方は、昔とまったく変わりませんね。失礼ながら、やり手の創業経営者にはあまり見えません。140人の社員に対して「オレについてこい!」なんておっしゃったことはないんじゃないですか。

 東島 そうですねぇ、そういうのは嫌いなんです。リーダーシップは大学時代のワンゲル部で培ったつもりですが、そういう表現の仕方はしないですね。

 まあ、つくりたいものをつくってきただけというところもありますし、独立創業したのも周囲が次々と独立するような環境にあったから、経営についてあまり深い考えはありませんでしたね。

 奥田 なるほど。チャレンジャー精神や創業者精神は、心の内に秘めているということなのでしょう。ところで、名誉会長になられてからは、どのように会社と関わりをもっているのですか。

 東島 基本的に何もしません。週2回程度、会社に顔を出すだけです。私は、65歳で社長を引退しましたが、このときに役員の定年制度をつくったのです。それで自らふんぎりをつけました。その後2年ほど会長として代表権をもってましたが、いまはそれもありません。つまり、まだ身体の動くうちにリタイアし、今後のことを考えたいと思ったわけです。

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