売上げの半分は海外市場で上げる――第19回

千人回峰(対談連載)

2008/03/31 00:00

牧誠

牧誠

メルコホールディングス 代表取締役社長

爆発的に売れたプリンタバッファ

 奥田 プリンタバッファにはどんな経緯で?

 牧 当時、プリンタバッファのアイデアも持ってまして、これなら売れるという自信もありました。ただ、当時はD-RAMが高くて、製品化すると10万円くらいになってしまうんです。プリンタそのものは15万円くらいでしたから、3万円くらいにしないといけない、と考えていました。D-RAMの価格は下がりはじめていましたから、1年後なら3万円で出せるだろう、それまで待とうと決めました。ただ、途中で同じような商品を出してきたところがあり、やられたっと思ったんですが、急いじゃだめだ、それよりマーケティングをしっかりやろうと自分に言い聞かせてました。

 発売したのは82年11月。その直前にニックネーム募集の広告を打ちました。応募で多かったのが「バッファロー」だった。本当はメルコで行きたかったんだけど、すでに商標登録しているところがあり、商品名には使えなかったんです。

 奥田 売れ行きはどうだったんですか。

 牧 予想以上でした。最初は、自宅で作っていて、親父やお袋も総動員、夜中の2時3時まで作ったこともあります。ついに親父が、なんで俺がこんなことしなきゃいけないんだと、怒りだしましてね。確かに健康の心配もあるし、ということで外部に製造を委託することにしたんです。

 初めのうちは部品調達も任せていたんですが、コスト変動の激しい世界だけに問題があるので、部品は当社が調達、組み立てだけを任せることにしました。

ファブレスだってメーカーだ

 奥田 ファブレス経営の始まりだったわけですね。

 牧 ファブレスという言葉は私が初めて使いだしたんじゃないかな。91年10月に日本証券業協会に店頭登録する際の話ですが、この時に幹事証券会社になった野村證券の担当者が、「業態は、工場を持っていないので商社になる」と言い出したんです。私はこれに断固反対、工場はなくたってメーカーだと、ファブレスという言葉を使いながら主張したんです。メーカーとして最も重要なのは、新製品を開発する能力、それを販売する能力であり、作ること自体は二の次、三の次の問題だとね。

(ここでポケットから白い錠剤を取りだし口に含む)

タバコは一時中止

 奥田 あれっ、それ何?

 牧 ニコチンガム。タバコの代わりになめることにしたんです。

 奥田 あのヘビースモーカーが、タバコ止めたの?

 牧 一昨年の8月、軽い肺炎やりましてね、医者に厳禁を言い渡されたの。それでも隠れて吸っていたんですけどね、二度目に病院へ行ったときは、女房もついてきて、医者に告げ口されちゃって(笑い)。

 18歳から吸い始めて、一日3箱は吸ってました。いまは、一時的に休んでるつもりで、部屋にはタバコも灰皿も置いてあるんだけど、別に吸いたいとは思わなくなってきましたから不思議ですね。ただ、頭使うとニコチンが足りなくなり、時々これをなめると落ち着くんですよ。

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