業務ソフトベンダー・ソリマチの社長から小説家に転身――第16回

千人回峰(対談連載)

2007/10/19 11:27

篠崎紘一

篠崎紘一

小説家

農業ソフトでソリマチブランド確立

 奥田 農業の簿記ですか。会計事務所をバックにした会社らしいソフトだったんですね。

 篠崎 当時は「家の光」という雑誌がまだ全国の農家に力を持っていまして、1月号では毎年家計簿を付録にしていた。その家計簿をつけるのは奥さんの仕事という農家が多かったんです。そうした意味では農家の奥さんたちが最初に農業経営簿記の便利さを認知してくれましたね。

 奥田 BCNの1994年6月27日号のKEY PERSONに登場いただいた際には、これからは情報化農業の時代ともおっしゃってましたね。

 篠崎 農業の衰退については、行政や大学などの公的機関も大変な危機感を持っています。農林水産省は農業・農村活性化の補助事業を推進、農家にパソコンとCATVの導入を働きかけていました。

 機械化農業に次いで、農家も情報武装が必要だというのは、行政も研究者も共通の認識になっていました。そうした行政、学会の動きにソリマチも全面的に協力してきたんです。

 農業情報学会という学会組織があります。私、そこから学会賞をもらってるんですよ。表彰された時、学位もなく、論文も書いてないのに学会賞を出すのはお前さんが初めてだといわれました。

 奥田 一般企業向けの「会計王」を出したのは95年12月でしたね。

 篠崎 農業向けソフトが軌道に乗ったら、次は中小企業向けをやろうという思いは早くから持っていました。ただ、この分野については若い人材を育てて任せようとも考えていました。

 その頃、オーナーの子息である反町秀樹君がコンピュータに関心を持っているというので当社に来てもらい、会計王の開発プロジェクトチームを預けました。94年の1月で、彼が28歳の時でした。

55歳で一念発揮、作家を目指す

 奥田 ソリマチのホームページで反町社長の発言「まだ見ぬ未来のパートナーの皆さんへ」を見ましたよ。

 それにしても、逆算すると、この頃の篠崎さんに何かがあったんですね。「日輪の神女(ひのかむめ)」を出版したのが2000年、執筆に4年かけたとおっしゃってますので、書き始めたのは1996年ですか。55歳で作家を目指すというのは、どんな心境の変化があったのですか。

 篠崎 本は好きですから、いろんなジャンルの本を読み続けてきて、俺も小説家にチャレンジしてみるかなと、漠然とですが思ったことは何度かあるんです。40歳の頃、農業ソフトにチャレンジ始める前にもそんなことを考えたことがあります。

 その時は踏ん切りがつかなかったんです。農業ソフトが何とか立ち上がり、後継者候補も見つかった。やり残したと悔やむより、本気でチャレンジしてみるかと思うようになったのは、確かに95年から96年頃ですね。

 それに、贖罪の気持ちもありました。コンピュータの普及は本当に人間を幸せにするのだろうかと、ソフト会社の経営者としては考えてはならぬことを考え出してもいたんです。

IT社会は金太郎飴人間を増殖させる

 奥田 コンピュータの普及と人間社会の関係について、もう少し具体的にお聞かせください。

 篠崎 コンピュータは確かに優れたツールで、人々にさまざまな利便を提供してくれます。しかし、IT化の進展に対応できない人もいるでしょうし、ある種の抑圧感、閉塞感も生むのではないか、そんなことを感じだしていたのです。

 金太郎飴のような、画一的な発想をする人間しか評価されなくなるのではないか、それは怖い社会だぞと考え出していたんです。

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