【日高彰の業界を斬る・25】本連載第13回(https://www.bcnretail.com/market/detail/20180520_61602.html)で、来年行われる改元にあわせたシステム改修が簡単なものではないことを紹介したが、ここにきて改元の比ではない、IT担当者の顔を青ざめさせる新たな“爆弾”が飛んできた。安倍晋三首相が、サマータイムの導入を自民党内で検討するよう、指示を出したというのだ。

Windows 10のタイムゾーンを米国時間に合わせると、サマータイムが自動的に適用される

 東京五輪組織委員会の森喜朗会長が、期間中の猛暑対策として提案したということだが、本稿を執筆している8月9日時点では、ネットユーザーの反応はサマータイム反対の一色にみえる。数限りない反対意見があがっているが、代表的なのは以下のような内容だ。

・生活リズムを崩し、睡眠に悪影響を及ぼすため、健康を害し労働生産性も落ちる(※1)
・余暇が充実するといわれているが、労働時間の短縮がなければ空論。むしろ労働時間が延びるおそれがある
・導入効果として省エネがあげられているが、家庭のエアコン運転時間が延びるので実際には電力消費が増えるのでは(※2)
・欧州ですら、サマータイム廃止の議論が活発化している(※3)
・夕方以降の種目では、気温が下がる前に競技が始まるのでそもそも逆効果

※1 日本睡眠学会「サマータイム 健康に与える影響」
http://www.jssr.jp/data/pdf/summertime_20120315.pdf
※2 産業技術総合研究所 計画停電と空調節電対策
https://www.aist-riss.jp/column/29731/
※3 欧州委員会 Commission launches public consultation on daylight saving time
http://europa.eu/rapid/press-release_MEX-18-4370_en.htm

 これらのデメリットをみただけでも、それを上回る導入効果が得られるのか疑問を抱かざるを得ない。最も注意深く検討する必要があるのは、健康の問題だろう。1時間のズレでも心身に悪影響のおそれがあると指摘されているのに、今回伝えられているサマータイム案では、マラソン競技の開始を繰り上げるため、2時間のシフトを行うという。選手や観客、大会関係者を猛暑から守ることはもちろん大事だが、そのために全国民の健康を生け贄として捧げるのは本末転倒である。

 その次に深刻な影響があると考えられるのが、いうまでもなくITの世界だ。例えば米国では2007年以降、サマータイム実施期間を06年以前に比べ約1か月延長したが、開始/終了日が変わったことで、全米で数億ドルのシステム改修コストが発生したとみられている。長年サマータイムが運用されてきた米国ですら、数百億円相当のコストがかかるのだとすれば、コンピューターの普及以来初めてサマータイムを導入する日本では、対応費用は天文学的なものになるのではないか。

とくに危険なのはサマータイム開始/終了時

 現代のPCやモバイル機器のOSは、時差やサマータイムによる時計のズレを、システム側で吸収する機能をもっている。システムの設定で「タイムゾーン」を欧米の時間帯にセットすれば、自動的にサマータイムが適用されることを確認できる。ユーザーはサマータイム開始日にわざわざ時刻設定を変更する必要すらない。もし日本で本当にサマータイムの導入が決定した場合、マイクロソフトやアップルなどはサポート対象のOSに対してアップデートを提供し、これに対応することになる。

 しかし、全てのソフトがOSの仕様に沿って設計されているとは限らないし、そもそもサマータイムに対応した時刻の調整機能をもっていない電子機器も無数に存在する。もし、2時間シフトのサマータイムが日本で導入された場合、従来の日本標準時でしか時刻情報を管理できないシステムでは、一体何が起きるのか。

 すでに多くの人がネット上で懸念を示しているので、今回は話の範囲を、最も不具合が発生する可能性が高い「サマータイム開始/終了」のタイミングに絞る。

 通常時間からサマータイムに移行する際は、時計の針を進める。サマータイム実施国のほとんどは、この変更を深夜の午前1~3時に行っている。ここでは米国にならい、サマータイム開始日の午前2時に時計を進めるとしてみよう。2時間のシフトを行うとすれば、開始日の1時59分59秒の次は、4時00分00秒になる。つまり、1年のうちサマータイム開始日に限り、2時台・3時台は存在しない時刻という扱いになる。翌日の営業開始までの時間が2時間失われることで、夜間の業務を完了するための時間が足りなくなる可能性がある。
 
サマータイム開始日の午前2時台・3時台はスキップされる

 サマータイム終了日には逆に、時計の針を2時間戻す。このため、未明の3時59分59秒の次は、もう一度2時00分00秒に戻る。つまりこの日に限っては、2時台・3時台の時刻は2回存在する。この2時間の間に発生した出来事を記録するには、「○月×日サマータイム午前2時35分」「○月×日通常時間午前2時35分」などと区別しておかないと、時刻を特定することができなくなってしまう。
 
終了日には午前2時台・3時台が2回訪れる

 サマータイムを想定していないシステムでこれを扱うとどうなるか。例えば、3時間の実行継続を想定して「1時30分開始・4時30分終了」と設定した処理があった場合、サマータイム開始日にはこの処理が1時間で終わってしまう可能性がある。同じ処理がサマータイム終了日に予定されていた場合は、処理が5時間継続してしまうおそれがある。

 また、毎日0時、3時、6時……に実行することを想定して「3時間に1回」と設定されていた処理があった場合、サマータイム開始日をまたぐと、0時の次の実行は5時、8時……となり、想定外の時刻に処理が走り始めることも考えられる。

 サマータイム終了日に発生する重複時間帯は非常に複雑だ。発生時刻ごとにデータの順番を並べ替えるとき、これまでであれば時刻表記の大小だけを比較すればよかったが、「3時30分」よりも「2時30分」のほうが後に発生するといった現象を想定していないシステムでは、並べ替えや時間計算が破綻する。

想定外のサマータイムが火災を引き起こす?

 家庭であれば、これらの不具合による影響は深夜番組のタイマー録画に失敗する程度(それでも激怒する消費者もいるだろう)かもしれないが、これが企業になると、例えば1時間ごとに受注内容をとりまとめ、「20180812_0200.csv」のような日時を名前にしたファイルに保存するといったシステムがあると、1回目の2時台に保存したファイルを、2回目の2時台に上書きしてしまうといったミスが起こり得る。

 交通機関、プラント、社会インフラといった分野では、さらに計り知れない被害をおよぼす可能性がある。例えば、材料を3時間加熱する工程が5時間になってしまったり、3時間の冷却が必要な設備を1時間しか冷やせなかったりといったミスが生じると、最悪の場合、火災や設備の破壊につながりかねない。もちろん、それほどの重要設備は別の仕組みで安全を確保しているはずだが、影響範囲を正確に特定できない以上、最悪のケースを想定し、何らかのテストを行うことは必要だ。
 
タイムゾーンを米国時間に設定し、日付を11月4日1時59分に変更すると、
サマータイム終了時に何が起こるかを実際に確認できる

 日本標準時(JST)でなく、協定世界時(UTC)で時刻を管理していれば、このような不具合はそもそも起きないわけだが、1952年以降、一度もサマータイムが実施されていない日本で全ての情報システムがそこまでを想定するのは無理がある。仮にシステムを設計したITベンダー側が気づいていたとしても、「将来サマータイムが導入されたら莫大な改修コストがかかるため、時刻はUTCで管理しましょう。ただしテスト項目が増えるため、JSTに比べ○%の費用アップ、△週間の納期延長が必要です」という提案に、同意する顧客ばかりではないだろう。とくに中小規模の企業、地方自治体、病院など、ITに関して予算も知識も限られる組織では、「JST決め打ち」のシステムは少なくないと考えられる。

 さらにいえば、「システム」というのはITに限った範囲の話ではない。例えば、損害保険のように時刻が指定された契約や、公訴時効の成立時点などをどう扱うか。サマータイムの導入は、「1日=24時間」を前提とした契約や法制度が無数に存在する、日本社会というシステムをどのように“改修”するかという大仕事にほかならない。

 もちろん、サマータイムは未来永劫、検討の俎上に載せるべきでないというわけではない。考え得るメリット・デメリットを並べて議論したうえで、よりよい社会の実現のために有効であるという合意が形成されるのであれば、それはそれでいい。しかしその場合も、導入決定から実施までに数年といった準備期間を設けるべきで、検討開始から1年足らずで実施というのは拙速に過ぎる。サマータイム賛成が過半数といった世論調査の結果も報じられているが、上にあげたような懸念事項が国民の間で広く共有されているとは考えにくい。
 
マイクロソフトは各国政府に対し、サマータイムの導入・変更には1年以上の十分な余裕をもつことを
推奨している

 いつかはほぼ確実に発生することがわかっていた改元や消費税率変更であれば、対応コストをユーザーやIT業界に転嫁する理屈もわからなくはないが、サマータイムはそれらとは違うし、影響範囲も桁違いに広い。かつて「IT革命」を掲げ、今後の成長戦略としてITを駆使した「Society 5.0」を提唱する日本政府が、東京五輪に向けて今から取り組む政策として、サマータイムの導入は愚策である。(BCN・日高 彰)