豊かになった中国人消費者にITで日本製品を売り込む――第141回(下)

千人回峰(対談連載)

2015/08/20 00:00

黒田 淳貴

黒田 淳貴

クーパル 代表取締役

構成・文/小林茂樹
撮影/津島隆雄

週刊BCN 2015年08月10日号 vol.1591掲載

 中国の消費者向けの物販事業では、いまだに黒田さん自身がドラッグストアに走って日本の化粧品や日用品などを仕入れることもあるという。一般に、若手経営者からはIPO(株式公開)のにおいがプンプンするものだが、黒田さんからはそれがあまり感じられない。それはおそらく、地味な「商売」にフォーカスしているからだろうと自己分析してくれた。しかし、3年後の事業規模について問うと、売上高は現在の10倍を目指すという。かつての中国経済並みの急成長を期待したい。(本紙主幹・奥田喜久男)

「中国の従業員たちは、残業をしたがらない。所得の増加によって、自分の生活を大事にするようになったのです」と黒田さんは現地の人たちの生活スタイルの変化を実感している。
 

写真1 出入国が頻繁で、すぐにスタンプで満杯になる黒田さんのパスポート。
写真2 「中国の人たちは、品質のいい日本製品をほしがる」という黒田さん自身は『Paul Smith』ブランドの腕時計を愛用している。
 
心に響く人生の匠たち

 「千人回峰」というタイトルは、比叡山の峰々を千日かけて駆け巡り、悟りを開く天台宗の荒行「千日回峰」から拝借したものです。千人の方々とお会いして、その哲学・行動の深淵に触れたいと願い、この連載を続けています。

 「人ありて我あり」は、私の座右の銘です。人は夢と希望がある限り、前に進むことができると考えています。中学生の頃から私を捕らえて放さないテーマ「人とはなんぞや」を掲げながら「千人回峰」に臨み、千通りの「人とはなんぞや」がみえたとき、「人ありて我あり」の「人」が私のなかでさらに昇華されるのではないか、と考えています。
 
株式会社BCN 会長 奥田喜久男
 
<1000分の第141回(下)>

※編注:文中に登場する企業名は敬称を省略しました。
 

入社2年で現地法人の総経理に就任

奥田 プリント基板の専門商社というと、仕事の中身はどんなものなのですか。

黒田 提携している中国のメーカーからプリント基板を買って、それを日系の家電メーカーや部品メーカーに納めるというかたちです。私の役割は、現地のメーカーとの交渉事や納期や品質管理などで、基本的には工場に駐在してマネジメントしていました。

奥田 黒田さんが在籍していた2009年からの4年半というのは、製造拠点としてまだ上り坂でしたね。

黒田 当初は円高の影響もあり、中国で仕入れると、2割から3割ほど日本で買うよりも安かったですね。

奥田 円安に転じる13年に、潮目が変わりました。

黒田 そうですね。流れも環境も大きく変わりました。

奥田 その4年半の間に、黒田さん自身のポジションはどう変わりましたか。

黒田 最初は一担当者として、なにか案件があるたびに工場に行って、確認したりフォローする役割でしたが、2年ほどすると、日本人の上司が日本に帰任したこともあり、現地の責任者になりました。当時はまだ現地法人はなくて駐在員事務所だったのですが、私が責任者になって間もなく現地法人を設立することになり、その総経理を務めることになりました。業務も拡大していたため人数も増えて、最終的には25人ほどに膨らみました。日本人は3人で、あとは中国人スタッフです。

奥田 その業容拡大にともない、黒田総経理の判断の下に面接をして従業員を採用していくわけですか。

黒田 採用もありますし、スタッフ教育もやりました。

奥田 どんな経営手法をとられたんですか。

黒田 すべて日本人だけで進めていくと、組織としてどこかで限界が来ます。現地スタッフに「むずかしいところは日本人がやるんだ」と思われてしまうと、モチベーションが上がらず定着もしにくいので、スタッフのなかにもリーダー的なポジションをつくって、部下を何人か束ねて仕事を進めてもらうといった工夫をしました。中国では人材が流動的なので、定着してもらうために、例えば誕生会や新入社員歓迎会をやったり、年に一回、社員旅行に出かけたりしました。その効果か、長く勤める人もいましたが、1年のうちに2割から3割の人が辞めていってしまうところが悩ましいところでしたね。
 

急速に変化した中国人のライフスタイルにフォーカス

奥田 黒田さんは、14年1月にその会社を退職されましたが、その一番の理由はなんですか。

黒田 日本企業にとって、中国で部品を仕入れるということがコスト的にメリットがなくなっていくなかで、会社としてもそういう環境に合わせて変化していかなければいけないということがありました。例えば、次の種としてベトナムやインドを候補に挙げていましたが、私自身は、この4年半すごした中国がやはりおもしろいなという気持ちがあったことが大きいと思います。

 その一方で、中国を市場としてみたときの変化が、すごい勢いで進んでいることに注目しました。たった5年ほどの間でしたが、ライフスタイルの変化は歴然としています。例えば、私が赴任してすぐの頃は、みんなお金を稼ぎに深・に出てきているので、残業や休日出勤を厭いませんでした。ところが、いまはみんな、残業をしたがらないんですね。所得が増加するにつれて、みんなが自分の生活を大事にするようになったのです。

奥田 現地スタッフの給料は、いくらくらいでしたか。

黒田 私が赴任した頃は月1500~2000元でした。当時1元=12円くらいなので、2万円弱ですね。私が日本に帰る頃は5000元ほどで、1元=18~19円なので10万円弱。そのくらい急激に豊かになったのです。

奥田 ざっくり5倍ですね。

黒田 当時、私は毎月のように日本に出張で帰ってきていました。そのたびに、現地スタッフから買い物リストを渡されて「これを買ってきてほしい」と日本の化粧品や日用品、お菓子などを買ってくるよう頼まれます。スーツケースの半分くらいは、それで埋まります(笑)。

奥田 おれが社長なのに(笑)。

黒田 そうですよね(笑)。やはり中国ではまだ偽物が横行していますし、「安かろう悪かろう」から抜け切れていないので、少し高いけれど品質のいい日本製品へのニーズがあることを、それで感じたのですね。

奥田 おつかいで、ニーズをとらえたわけですね。ところで、現在の事業の柱はどのようなかたちですか。

黒田 いま、事業は三つに分かれていまして、一つは日本企業の中国向けウェブマーケティング、例えばウェブサイトの翻訳や現地の消費者に向けたSNSを利用した情報発信などのお手伝いですね。もう一つは、中国企業もしくは中国にある日系企業が日本向けに行うマーケティングのお手伝いです。そして、三つ目の事業は、インターネットを使った日本商品の中国の消費者向け販売です。もともと、日本メーカーの商品を中国に売るお手伝いをしたいと考えているのですが、そのためにはまず自分自身で売ってみよう考えたわけです。

奥田 消費者向けということは、サイトをオープンしているということですか。

黒田 サイトというよりはSNSを主に使って、日本のこういう商品がお勧めですよということを、クチコミ的に宣伝しています。主に使っているのはウィーチャットとウェイボーです。中国の消費者のなかには、「化粧品を買いたいのだけれど、そもそも化粧の仕方がわからない」という方もいらっしゃいますが、そういう知識や情報を提供したうえで売ることを考えています。いわばメディアとeコマースをからめたかたちでやっていきたいと思っているんです。中国では、フェイスブックもツイッターもグーグルも使えません。そういう、日本とはまったく違うIT環境で日本の会社がネット経由で中国の人に売るというのはすごく難しいのです。ただ、eコマースは現地に進出して在庫を抱えるよりもリスクが少なく、日本企業にとってメリットのある売り方だと思います。なんとかそこを突破したいですね。

奥田 今後の展開を楽しみにしています。

 

こぼれ話

 黒田さんとの出会いは、年初に親しい人から紹介されたことに始まる。名刺交換をする段になって、少し武骨な表情から強いエネルギーを感じた。

 30代の経営者はいまどき珍しくない。そんな一人だと思って事業の話を聞くと、日本と中国を股にかけた仕事をしているという。そう言われてみると、中国市場で起業している人の共通性は骨太なところにある。胆が座っているというか、小手先ではないというか、骨太というか、事業姿勢もザックリしたというか、大まかというか、そんな印象を感じる。

 面談の二度目は、BCNのオフィスに来ていただいた。具体的な事業の内容を聞き、事業の収支に話が及ぶと、今日の売り上げで明日を生きるという切羽詰まった状態なのに、目指すゴールが大きいのである。そこで、千人の一人として記録に残したいと思い、対談をお願いした。黒田さんの事務所は浜松町にある。ソニーを早期退職して起業したお父さんのオフィスだそうだ。黒田さんは言う。「中国市場に深く根を張り続けます」と。どんな企業史をつくるのだろうか。

Profile

黒田 淳貴

(くろだ じゅんき) 1982年、神奈川県横浜市生まれ。2007年、慶應義塾大学商学部を卒業後、金型メーカーにて3Dプリンタによる試作品製造工場の改善活動などを担当。その後、2009年から電子部品商社の駐在員として、中国・深センに約5年間赴任。現地法人の社長として、提携中国メーカーの納期・品質管理、新規サプライヤーの開拓、日系メーカーへの営業などを担当。2014年7月、クーパルを創業。