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すべての経験にムダはない どこかで誰かが必ず見てくれている――第211回(下)

千人回峰(対談連載)

2018/06/25 00:00

高橋昌彦

高橋昌彦

日本郵政 経営企画部門広報部 日本郵政グループ女子陸上部 監督

構成・文/浅井美江
撮影/松嶋優子

週刊BCN 2018年6月18日付 vol.1731掲載

 高橋さんの話を聞いているうちに、ふと焼き物のことが頭に浮かんできた。窯の火の回り方は気温や湿度などの条件でまったく違う。“そのとき・その場”でないとわからないことが多すぎてレシピとして残せない。そのことを高橋さんに話したら「まったく同じです。陸上競技も本当にそうです」という答えが返ってきた。他の監督が就任するのとは異なる道を歩み、さまざまな経験を経て今に至った高橋さんが、“陸上”という世界をクリエイティブに捉えていくアーティストに見えた。(本紙主幹・奥田喜久男)

2018.3.30/日本郵政グループ女子陸上部 小金井寮にて

過去の練習メニューにこだわらないのが高橋流

奥田 高橋さんは早稲田の大学院にも進んでおられますね。

高橋 45歳のときです。2010年にトヨタ車体の陸上部がなくなったのが進学のきっかけです。選手を教えるだけでなく、自分自身に経営的なセンスや知識を身につけなければ生き残れないかな、と。無職だったので、ハローワークに失業手当をもらいに行ったりしていたんですが(苦笑)……。

奥田 書いた論文で学会賞も取っておられます。

高橋 おかげさまで。1年間の社会修士だったんですが、非常にいい経験をしました。

奥田 ぜいたくなインプットをされましたね。

高橋 そういう経験も含めて、いったん陸上の指導や現場を離れたことで、陸上競技の世界を外から眺める機会があったのは、とてもよかったと思っています。

奥田 客観的に見ることができた、と。

高橋 通常、実業団の監督さんは、幼い頃から走るのが速くて、全国大会で優勝して、実業団選手で日本代表にもなって、という実績があってコーチになり監督になるという方がほとんどです。私のように元は教員でトライアスロンの選手だった人はいません。そういう華々しいキャリアの方々と闘っていくとなると、これはもう自分自身がいろんな技術を身につけていくしかありません。

奥田 お話をうかがっていると非常に分析的ですが、高橋さんのメソッドは“データ陸上”といえるんでしょうか。かつてプロ野球の野村監督が“データ野球”といっておられましたが。

高橋 うーん。頭の中にデータはあるかもしれませんが、実はあまり過去の練習メニューは振り返りません。

奥田 え!? そうなんですか。

高橋 はい。小出監督は「メニューは絶対によそに見せるな、それはうちのノウハウだからいっちゃダメ」って禁止されていたんですが、私は全然こだわらない。この前もオリンピック予選会で1位、2位を取ったときにもメニューを教えてほしいといわれて全部見せました。

奥田 メニューを見せても同じことはできないと思っているから?

高橋 そうです。逆にわれわれが他の方のメニューを見ても同じことはできません。それと、人間は成功体験を引きずりたくなるので、それじゃないとダメみたいになってしまうのもイヤなんです。そういう失敗を過去に何度かやらかしているので。たとえば過去のデータに基づいて今の選手に練習をさせても、クリアしてくれればいいけど、ダメだったら選手は自信をなくすし、われわれも不安になる。だから、できるだけ過去は振り返らないようにしています。

奥田 今を見るということですか。

高橋 そうです。素のまま、“今のまま”の選手をどうすべきかをずっと考え続けているので、そのときそのときでオーダーメイド中のオーダーメイドです。ただ、あまり何も提示しないと選手が迷ってしまうので、ある程度は「こうだよ」とはいいますが。

奥田 それは、これまでどなたかがやっておられた方法ですか?

高橋 いや、誰もいらっしゃらないですね。

奥田 では、まさに「高橋流」。

高橋 まあ、そうかもしれません。私自身が試行錯誤して生まれたものです。選手にメニューを渡すときって、実はものすごく葛藤があるんです。やりすぎると故障しちゃうし、足りなければ伸びないし。常日頃、寝ても覚めてもそのことを考えている。だから、たぶん何度も何度も考えて、それがぴたっとはまったときの成功パターンは記憶の中に残っているはずです。だから、データを見返すのはそんなに大事なことじゃないと思っています。

奥田 いやあ、おもしろいなあ。陸上をそんなふうに語る人がおられるのですね。

会社への恩返しはトップでたすきをつなぐこと

奥田 過去のメニューにこだわらないことのほかに、「高橋流」にはどんなことがありますか。

高橋 指導に関してではありませんが、すべての経験にムダはないと思っています。

奥田 そう思われるきっかけがあったのですか?

高橋 陸上界から離れている頃、ある陸上部のマネージャ-から「チームがなぜうまくいかないのかを分析をしてくれ」というオファーがありました。そこで指導の方法から合宿の期間や費用などまで、具体的な情報をうかがって分析しているうちにおもしろくなって、結構な時間をかけて改善点などを洗い出してレポートにまとめたことがあります。

奥田 それは喜ばれたでしょう。

高橋 いや、その時点では「ああ、そうですか」で終わってしまって。でも、そのときに調べたデータや資料が日本郵政の創部にあたってすごく役に立ちました。例えば寮をつくるときに他社はどのくらい費用をかけているのかなど、会社が求めてくるので手持ちのデータを一覧にして膨大な資料として提出したんです。それで納得してもらえたようで、まだ成果が出ない2年目にもかかわらず、寮をつくることが決まりました。

奥田 それはすごい。

高橋 いろんなやってきたことが何もムダではないんだなと。本当に面白いと思いました。

奥田 ああ、すばらしいですね。

高橋 あとは、実は東京電力の陸上部監督の契約が終わったとき、もうこの世界で指導者の立場に立つことはないだろうな、と覚悟を決めていました。でも、そんなところに日本郵政からお声がけをいただいた。人間は夢と希望をもって真摯に自分を磨いていけば、どこかで誰かが見てくれているんだなと思います。

奥田 なるほど。

高橋 自分から売り込んだわけでもありませんし、本当にたまたまのご縁。だから世の中はわからないよ、と選手にも話しています。落ち込んでいる子には、あなたは今たまたまコインの裏が出ているけど、人間にはある一定期間の猶予があって、その間は何度失敗してもまたチャレンジしていい。でも辞めてしまったらもうそこまで。表は出せなくなる。だから表が出るまでやってみろ、と。

奥田 いいですねえ。ところで、小出監督とは長くご一緒されていましたが、今でも交流はありますか。

高橋 最近、よくお会いしたり、電話をいただいたりしています。私にとっては一生の師匠です。まだまだ越えることができませんが、小出監督が有森裕子のときでメダルを獲得されたのがちょうど今の私の年齢で、それから10年近く世界のトップで指導しておられた。そういう意味では私もその年齢になったのかなと思います。

奥田 いよいよ勝負のときですね。

高橋 はい、ここから10年くらいが一つの勝負でもあるのかなとみています。幸い、いい会社に恵まれてバックアップをしていただけていますので、自分たちのチームが勝つことを目指しています。もう一つの目的はわれわれがトップでたすきをつなぐことで社員の方々に元気になってもらうことにあります。そこが唯一、われわれにできる恩返しだろうと考えています。

奥田 2020年の東京五輪もあります。高橋さんにお願いです。オリンピックが終わったらもう一度インタビューさせていただけませんか。

高橋 もちろん喜んで。お会いできるよう、結果が出すためにがんばります。

奥田 楽しみにしています。今日は興味深いお話をありがとうございました。
 

こぼれ話

 指導者と選手とその日の気象条件。この三つの要素がうまく重なったとき、レース当日の1位が誕生する。だから、指導のレシピは求められれば教える。これが高橋監督の考え方である。ところが師匠である小出義雄監督のそれは極秘だという。実に興味深い話を聞いてしまった、と思った。なぜならば、その日の1位は世界一を競うレベルの鋭角的な話だからだ。このテーマは『千人回峰』でこだわり続けている「人とはなんぞや」に通じると感じたからである。

 ある日のこと。池袋で電車を乗り換えるために急ぎ歩きをしていたら、手に持ちきれないほど幾つもの紙袋を持ってすれ違った人がいた。あっ、と思った。紙袋は「福砂屋」のそれである。困ったぞ。あまりの買い占めにあって、品薄になったり値上がりしたりしたらどうしよう。長崎に山のようにあるカステラ屋のなかで最も好物とする一品だから、驚くとともにいろいろなことを瞬時に考えた。そういえば、なぜ長崎にはカステラの同業者が多いのか。思うに、一人の職人が菓子作りの全工程に携わるから独立が容易だからではないか。それでカステラの本場となったのだろう。

 長崎からさほど遠くない所に焼き物の有田がある。この地ではあの美しい輝きを放つ有田焼の製造工程が分業なので、街全体が循環している感がある。カステラと磁器という品の違いがあるにせよ、いつの頃かにその土地の人たちが、作る体制を整えたはずだ。伝承という行為が“本場”を形作ったとみていい。だが、伝えようとしても伝えられない技があるはずだ。その領域を人は製造ではなく“アート”の世界と呼んでいる。人の指導の世界にも“アート”があるようだ。師匠と弟子は、その“解”に行き着いているのではないか。

 
心に響く人生の匠たち

 「千人回峰」というタイトルは、比叡山の峰々を千日かけて駆け巡り、悟りを開く天台宗の荒行「千日回峰」から拝借したものです。千人の方々とお会いして、その哲学・行動の深淵に触れたいと願い、この連載を続けています。

 「人ありて我あり」は、私の座右の銘です。人は夢と希望がある限り、前に進むことができると考えています。中学生の頃から私を捕らえて放さないテーマ「人とはなんぞや」を掲げながら「千人回峰」に臨み、千通りの「人とはなんぞや」がみえたとき、「人ありて我あり」の「人」が私のなかでさらに昇華されるのではないか、と考えています。
 
奥田喜久男(週刊BCN 創刊編集長)
 
<1000分の第211回(下)>

※編注:文中に登場する企業名は敬称を省略しました。

Profile

高橋昌彦

(たかはし まさひこ)
 1965年、新潟県生まれ。日本体育大学体育学部卒業。早稲田大学大学院スポーツ科学研究科修士課程修了。同大学院での女子マラソン選手に関する研究論文は「ランニング学会」で学会賞を受賞している。新潟県の中学校教員退職後、トライアスロンのプロ選手として活躍。プロデュアスロン・カナヤカップで総合優勝。小出義雄監督指導の下、陸上のコーチとして鈴木博美や高橋尚子をサポート。有森裕子の専属コーチとして、99年のボストンマラソン(3位)を指導した。UFJ銀行、トヨタ車体、東京電力で監督を務めた後、2014年4月、日本郵政女子陸上部の初代監督に就任。創部3年目の16年、第36回全日本実業団対抗女子駅伝で初優勝。