U-16プロコンは天才発掘の場ではなく“草プログラマー”を育てる場だ――第335回(下)

千人回峰(対談連載)

2023/09/08 08:00

須田 誠

須田 誠

アクロスペイラ 代表取締役

構成・文/小林茂樹
撮影/長谷川博一
2023.6.20/東京都中央区のアクロスペイラにて

週刊BCN 2023年9月11日付 vol.1984掲載

 【東京・日本橋発】私が理事長を務めているNPO法人ITジュニア育成交流協会では、次代のIT人材育成支援のための活動を行っている。その一つがU-16プログラミングコンテスト(U-16プロコン)の開催だ。須田さんは、その函館大会を2019年に立ち上げ、今日に至るまで尽力してくださっている。それぞれの地方大会の成り立ちは異なるが、共通しているのは“人の縁”がその実現のための大きな要素となっていること。よく「ヒト・モノ・カネ」と言われるが、それを結びつけているのがまさに縁であると改めて感じる。
(創刊編集長・奥田喜久男)

相手に対して本音で接し
自分をさらけ出す

奥田 須田さんが38歳のときに副社長を務めていた会社が倒産したということですが、そのときはどんな心境でしたか。

須田 社員も会社を離れていきますし、取引先の方々とも疎遠になって、ひとりぼっちになったという感じですね。もちろん、そんな状況でも変わらずつき合ってくれる人もいますが、かたちだけの人間関係が多かったことに気づきました。

 もちろん、数年間厳しい状況が続きましたから、整理がついたときはホッとしましたが、それまで一緒に働いてきた従業員には申し訳ないなと思いました。

奥田 やはり、すべてを失ったという感覚ですか。

須田 そうですね。かたちだけの人間関係と言いましたが、それ以来、相手に対して本音で接し、自分をさらけ出すようになりました。営業の際にも、無理にこびたりするようなことはやめ、人対人のつき合いができる相手とビジネスをすべきだと思いましたね。

奥田 その後のビジネスの展開は?

須田 名古屋にある知り合いの会社を手伝ってほしいということで、その会社の東京支社長になりました。そこで出会ったのが、経営支援のコンサルティングに来ていたアクロホールディングス創業者の石田知義(現なんでも相談役)だったのです。

奥田 その石田さんとの出会いが、現在の須田さんの仕事につながっているんですね。

須田 このとき、石田に「こういうことをやりたい」といった話をしたのですが、「それなら役員ではなく、もう一度社長をやりなよ」とアドバイスされ、2006年にアクチャルテクノロジーズというアクロスペイラの前身となる企業を立ち上げました。

奥田 今度はどんな事業ですか。

須田 「Pentaho」という米国製のBIツールの代理店です。私を含め4人で創業したのですが、実際のところほとんど売れませんでした。そこで手をこまねいているわけにもいかないので、会社を存続させるため、私の得意分野である受託開発に経営資源を集中させました。その結果がアクログループに認められ、08年に完全子会社化されてグループの一員となったのです。

奥田 子会社化に至るプロセスの中で、石田さんはどんなコミットをされたのですか。

須田 当初、20%の資本を出してくれただけで、経営に口を挟むことはありませんでした。その経営理念は「倒産させないこと」であり、「投資することは、会社を潰そうとする行為である」と教えられました。

奥田 えっ、それはどういう意味ですか。

須田 大金を使うことは会社を潰すことにつながると考えて動け、という意味ですね。お金を使うことによって会社を潰してはいけないわけですから、お金を使うか使わないかという判断がとても重要であると。当たり前のことのようですが、その考え方を理解したことで、私もその判断が明確にできるようになりました。

奥田 経営者として、一皮むけたと。

須田 そして、アクログループには30の事業会社がありますが、そのなかで起業と倒産を経験した社長は私だけです。だからこそ、社長は最後の最後まで経営の責任をとるべきだと考えています。
 

旭川のU-16プロコンの魅力にふれ
函館大会を立ち上げる

奥田 ところで、須田さんは北海道・函館でU-16プロコンを立ち上げられました。このU-16プロコンに携わったきっかけは、どんなことだったのでしょうか。

須田 アクログループ初の地方開発拠点として、18年、函館にアクロクレインという会社を設立しました。この会社の立ち上げに一緒に参画した旭川出身の経営者から、U-16プロコンの旭川大会に誘われたのがきっかけです。

奥田 最初にご覧になったとき、どんな印象をもたれましたか。

須田 とても素朴で、いい大会だと思いました。コンテストらしくないというか、天才を発掘するのではなく草プログラマーを育て、子どもたちがストレートに喜怒哀楽を表現できるような雰囲気にひかれましたね。

 それで、ぜひ函館でも開催したいと思い、旭川龍谷高校の下村幸広先生をはじめとする大会関係者の方々を紹介していただいたというわけです。

奥田 そう言っていただけるとうれしいですね。

U-16プロコンは、いま14都市で行われていますが、プログラミングの世界の裾野を広げたい、さまざまな地方でIT人材を育てたいという思いから始めました。

 須田さんは「草プログラマー」とおっしゃいましたが、まさにそのとおりだと思います。いきなり藤井聡太氏や大谷翔平氏を見つけるのではなく、そうした天才を生む土壌である将棋人口や少年野球人口を増やすことがまず必要であり、それはプログラミングの世界にも共通するわけですね。

須田 こうした子ども向けのイベントを運営した経験はなく、なかなか大変でしたが、函館工業高校、函館高専、はこだて未来大、北海道教育大函館校などを訪問して協力を依頼し、19年10月に第1回大会を開催することができました。

奥田 須田さんのような熱意ある大人がいてこそ、U-16プロコンが成り立っているんですね。

須田 今年も第5回大会を10月に開催する予定で、これまで旭川で行われてきた全道大会も、今年は函館で開催することになりました。

奥田 初の全道大会ですか。それは楽しみです。

須田 函館のほか、旭川、札幌、釧路のメンバーが集まって競うわけですが、それぞれ強豪揃いなので、函館の子どもたち向けに全道大会のための特別講習を開く予定です。北海道を勝ち抜くのも、なかなかハードルが高いですから。

奥田 やはり、先生になりたかった須田さんだけに、教えることにも力が入っていますね。

須田 そうですね。教育が好きというところは、U-16プロコンの活動にも反映されていると思います。

奥田 この先10年を見据えて、どんな活動をしていかれますか。

須田 切った張ったのビジネスからは少し距離を置いて、このU-16プロコンをはじめとした社会貢献・地域貢献に力を入れたいですね。そして、人の縁を大切にしながら、何かを残していければいいと思っています。

奥田 まさにいろいろなご縁のおかげで、このU-16プロコンは各地に広がり成長しています。これからもご尽力いただければと思います。
 

こぼれ話

 初対面ではお互いが接近する姿を見ながら、“人となり”をおもんぱかる。名刺交換の所作を通しても何となく、その人となりが伝わってくる。「人の振り見て我が振り直せ」とすれば、私の場合はどうなんだろうか。そのつど、相手次第の印象がある。少なくとも笑顔ではない。ところが、本日の主人公の須田誠さんは、満面の笑みを浮かべて近づいてこられた。お顔も丸顔なので、その笑顔がピッタリなのだ。無防備といえば無防備だし、無防備ほど最大の守りとも言えるがーーというような、ややこしい深読みはやめて、とにかくウエルカム、ウエルカムなのだ。それもおよそ60分の対談中、笑顔が途絶えない。

 取材が終わって、写真撮影の場所を自席でお願いした。横長の広いオフィスではスタッフがパソコンに向かって執務中だ。その端の机が須田さんの席らしい。私は心の中で「へぇ~、そうなんだ」。先ほどのインタビューで聞いていた社員との距離感、経営観に納得をした。社員との対等目線を語る経営者がいる。特にベンチャー企業の創業期の経営者に多い。しかし、経営を続けるに従って、経営者指向の目線と社員の目線は異質になっていく。その壁を通過すると経営者と社員の目指す方向が一致するということだ。

 では、須田さんの会社の人たちに共通する要素は何か。それはプログラミング技術の習得と向上、その質と完成度の追求に美意識的な共通要素があるように感じた。須田さんと話していると、経営的な話よりもプログラミングの好きな集団づくりの話題が多く、かつ、その分野の話になると、笑顔が満月になるのだ。もしや経営的な話題を避けたい理由があるのかもしれない。だから意地悪い質問もした。しかし、その質問を避けるのではなく、いつの間にかプログラミング集団づくりの夢に戻っていく。

 人にはそれぞれの歩んだ道がある。生まれた場所に始まって、家族との暮らし、学校生活、社会人生活を重ねていくと、いくつもの土地に住まいを構えることになる。須田さんは生まれ故郷の函館を振り出しに、札幌を経由して東京へ、そして「還暦も目の前ですから」と函館に回帰するという。須田さんが、繰り返し繰り返し、あの笑顔で楽しそうに語ったことを並べると、▽函館の土地▽教え育てること▽プログラミング―の三つである。

 そこであえて聞いてみた。「経営的な欲はなんですか」。欲とは収益の確保、事業規模の拡大、社会的評価の獲得である。例のスマイルで、「ありません」と即答。なんとも出鼻をくじかれた感じだ。といって、経営を放棄している雰囲気はない。スタッフと席が並んでいる執務机に座ると、凛としたオーラが伝わってくる。プログラミングで困ったことがあったら、なんでも聞いておいで、とオーラが語っている。そうなんだ。こうした環境に身を委ねていることが、もっとも居心地がいいのだろうな。そう思った。“須田スマイル”は自然体である。 (直)
 

心に響く人生の匠たち

 「千人回峰」というタイトルは、比叡山の峰々を千日かけて駆け巡り、悟りを開く天台宗の荒行「千日回峰」から拝借したものです。千人の方々とお会いして、その哲学・行動の深淵に触れたいと願い、この連載を続けています。

 「人ありて我あり」は、私の座右の銘です。人は夢と希望がある限り、前に進むことができると考えています。中学生の頃から私を捕らえて放さないテーマ「人とはなんぞや」を掲げながら「千人回峰」に臨み、千通りの「人とはなんぞや」がみえたとき、「人ありて我あり」の「人」が私のなかでさらに昇華されるのではないか、と考えています。
 
奥田喜久男(週刊BCN 創刊編集長)
 
<1000分の第335回(下)>

※編注:文中に登場する企業名は敬称を省略しました。

Profile

須田 誠

(すだ まこと)
1965年、北海道函館市生まれ。86年、コンピューター専門学校卒業後、日本SE入社。88年、エムケーティー創業。2006年、アクチャルテクノロジーズ創業。17年、アクロクリエイトと合併し、アクロスペイラとなる。現在、アクロスペイラ代表取締役のほか、アクロクレイン、HumanRockの代表取締役を兼務する。