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独創的な要因分析を駆使して日本の電機メーカーの復活に尽力――第214回(下)

千人回峰(対談連載)

2018/08/06 00:00

若林秀樹

若林秀樹

東京理科大学大学院 経営学研究科技術経営専攻 教授・専攻主任

構成・文/細田立圭志
撮影/松嶋優子

週刊BCN 2018年7月30日付 vol.1737掲載

 先生の分析理論はわかりやすい。業績を予想し、的中させるのが真骨頂とおっしゃるが、その根っこにあるものは日本の“モノづくり”を愛しておられるということに尽きると思う。世の中はAI分析がブームだが、熱のこもった人間の知恵の結晶を見た思いである。(本紙主幹:奥田喜久男)

2018.4.20/東京理科大学にて

「経営重心」で企業の本質を見る

奥田 先のお話にあった「経営重心」について教えていただけますか。

若林 経営重心は端的にいえば、企業の事業の広さなどからその企業の本質を捉えることです。そのためには、どれくらい広いのかということを定量化しなくてはいけません。日立製作所と東芝はどっちが広いかとか、日立の今と東芝の昔はどっちが広いのかとか、あるいは、日本は経営スピードが遅いといわれますね。ではどれくらい遅いのかも定量化しないと意味がない。個人の人柄と同じように「法人にも人柄や本質があるんです」。それを正しく見極めるのが経営重心です。

奥田 経営重心という言葉は、先生のオリジナルですか。

若林 2013年くらいに考えて、いい言葉だと思って商標登録しました。簡単にいうと、事業のサイクルと事業のボリュームをx軸y軸にとるというやり方です。例えば、スマートフォンであれば2年サイクルで10億台。ロボットであれば5年サイクルで数十万台から100万台、原発は20年か30年で1基か2基。これは企業によってまったく違います。いろいろな事業をやっている会社の場合は、加重平均をとると重心がわかります。それが経営重心なんです。その経営重心から各事業の距離を測ると広さがわかります。例えば、日立とか東芝の重心がどう動いたということがわかる。日立は、昔は9年サイクルでした。それが90年代に半導体に移行したのでサイクルが短くなった。ボリュームも増えますよね。でも、それで失敗したので、戻りました。東芝もそうだったのですが、東芝は事業の真ん中がなくなってしまいました。極端にメモリーと原発だけになった。広くなったけれど、ドーナツ化現象みたいなことが起きました。そういうふうにサイクルとボリュームでマッピングができるんです。

奥田 先生の話をうかがっていると、確かに企業の本質が見えてきますね。

若林 日立の業績がよくなった理由をいえば、周期が長くてボリュームの小さいものへと寄っていったからです。日本発のものは5年から10年のサイクルで数千台から数千万台まで、これが外れると必ず負けます。デジタル家電も液晶テレビもデジタルカメラも1億台を超えたから負けた。サイクルも長いといいけれど、3年を切ってくると日本では迅速に決断できないから、必ず負けるんです。

奥田 わかりやすい理論ですね。

若林 サイクルが長くなるとヨーロッパが強くなるんです。だから、日本が強い産業は電卓、時計、コピー、プリンターとかですね。

ちょっと分野が離れた“たすき掛け”に価値がある

奥田 おもしろい見方ですね。ITに関してはどうでしょう。

若林 単位が違うと足し算ができなくなってしまいます。違う単位だと異種結合です。これはまさに、イノベーションじゃないかと考えているんです。例えば、ITから遠そうな医療とか農業にITを組み合わせることで価値が生まれる。IT×ITは結局のところコスト削減だけです。つまり、AIとかITは効率を上げるけれど、極端にいうと売上高を上げることはできないんです。だからどんどんシュリンクするわけです。バリューを増やすのは、IT×他のモノとの掛け算です。

奥田 確かにそういう動きは最近出てきていますね。

若林 手元に体温計が10個あっても意味がないけれど、体温計と血圧計があれば、ちょっと違う。さらに体温計と血圧計と血糖値計があればもっと違う。センサーが多いほど価値がはっきりします。AIスピーカーも、あれは音だけに反応するのが物足りない。音だけではなくカメラやさまざまなセンサーで反応するソニーのアイボのほうが、かなり上を行っているといえます。

奥田 体温計の話はわかりやすいですね。

若林 ただ、その価値は健康だけですけど、例えば、それをちょっと分野の遠そうな生命保険業界に適用する。このお客さんは健康だから保険の掛け率を少なくするとか、そういうふうに少し遠いところに掛け算すると新しい価値が生まれてきます。

奥田 そうなると、業界の構造も変わってきますね。

若林 IoTの時代になってM&Aも変わってきて、ちょっと分野の遠い“たすき掛け”の構造が進んでいます。ソフトバンクが半導体設計大手の英ARM(アーム)を買収したのは、まさにそれです。孫さんからみれば、国内通信は規制だらけだけど、IoTになると違うと。だからここだけは押さえるというのがまさにアームの買収だったわけです。

奥田 先生のちょっと先のゴールって何ですか。

若林 ライフワークの電機メーカーを含めて、ものづくりの要因分析と成功要因の提供ということからいうと、私の夢は事業・現場とアカデミズムをつなげて、MOT(技術経営)×MBAの融合と反応をさせて、学生からCTO(最高技術責任者)やCEOなどを輩出して、イノベーションを起こす。まさに日本の電機メーカーの復活ですよ。

奥田 教え子で経営者になって成功している方はすでにおられるのですか。

若林 これからです。私は65歳で定年ですから、それまでに10人以上を上場会社の社長や起業家に育成するのが夢です。

奥田 志を感じます。楽しみですね。

若林 実はおもしろいシニア起業の仕掛けも考えています。従来、企業人は60歳くらいで会社を辞めて65歳くらいまではなんらかの形で仕事をして、その後は引退というケースが多かった。だから日立とかソニーを辞めたような人が、第二日立や第二ソニーを起業して若い人を雇用すればいい。お年寄りの活躍が日本の成長に役立つ、そんな仕掛けをしようと思っています。

奥田 今日は大いに刺激を受けました。ありがとうございました。
 

こぼれ話

 メールのやり取りの速度を“反射率”と名づけた人がいる。たとえば、私が若林先生にメールを送ったとする。そのリプライは、ほとんど間髪を容れずにである。私もその速度に合わせてお返しする。そのやり取りが反射率なのだ。その言葉を聞いた最初のうちは何か違和感があったのだが、今は気に入っている。若林先生は、会話の場面でも反射率が高い。よく、頭の回転が速い人という言い方をするけれども、先生の場合は会話にそった不連続な着想の話題が次々と飛び出す。

 もう一つ気づいたことがある。昔話に時間軸がないことである。20年前の出来事を話したとしよう。それがたとえ話であっても、今の出来事のように聞くことができるのだ。さらに言えば、出来事の底流に流れる本質を数式で表しているようにも聞こえる。『千人回峰』の対談を進めながら、そんなことを考えているうちに、あることに、ハッと気がついた。

 出会いにもいろいろなケースがある。若林先生とはとても珍しいケースだと思う。一人の友人の逝去が二人を引き寄せたのだ。今年4月にメルコの創業者・牧誠さんが旅立った。彼が最後に長時間にわたって会話をした人がいる、とご家族にうかがった。その人に『千人回峰』の対談を申し込んだ。すごい反射率でお会いした。そこで「なるほど」と腑に落ちた。若林先生の不連続な話題の反射率と本質を表す数式は牧誠そのものではないか。なるほど二人の間柄は計り知れない。先生は言う。「さびしい、惜しい」と…。

 
心に響く人生の匠たち

 「千人回峰」というタイトルは、比叡山の峰々を千日かけて駆け巡り、悟りを開く天台宗の荒行「千日回峰」から拝借したものです。千人の方々とお会いして、その哲学・行動の深淵に触れたいと願い、この連載を続けています。

 「人ありて我あり」は、私の座右の銘です。人は夢と希望がある限り、前に進むことができると考えています。中学生の頃から私を捕らえて放さないテーマ「人とはなんぞや」を掲げながら「千人回峰」に臨み、千通りの「人とはなんぞや」がみえたとき、「人ありて我あり」の「人」が私のなかでさらに昇華されるのではないか、と考えています。
 
奥田喜久男(週刊BCN 創刊編集長)
 
<1000分の第214回(下)>

※編注:文中に登場する企業名は敬称を省略しました。

Profile

若林秀樹

(わかばやし ひでき)
 1959年、京都府福知山市生まれ。東京大学工学部精密機械工学科卒、同大学院修士修了。86年、野村総合研究所入社。技術調査部研究員からアナリストに転じ、企業調査部主任研究員を経て組織改正により野村証券金融研究所に在籍。97年、ドレスナークラインオートベンソン証券、2000年からはJPモルガン証券、みずほ証券でマネージング・ディレクター、株式調査部長、ヘッドオブリサーチ、主席アナリスト。JPモルガンでは100人以上のリサーチヘッド、セルサイドアナリストとして20年間一貫して電機業界を担当。05年、ヘッジファンドの旧フィノウェイブインベストメンツ(現在は他社と合併)を共同設立、ファンドマネージャーとして10年間年率10%の運用実績。11年、代表取締役CEOに就任、14年シンクタンクのサークルクロスコーポレーション設立。17年、東京理科大学大学院教授。