社内の結束をはかり、社員・家族に「紙」で届ける社内報――第172回(上)

千人回峰(対談連載)

2016/11/21 11:27

あゆみ

あゆみ

大塚商会 社内報

構成・文/浅井美江

 本年5月、大塚商会の社内報『あゆみ』が500号の発行を迎えた。社内報には多くの“人”が登場する。それを500号も重ねたら、これはもう、社内報自体が立派な人格をもつのではないか、とふと閃いた。『千人回峰』は「人とはなんぞや」を掲げながら、「人ありて我あり」を模索し続けている。『あゆみ』誌を擬人化して登場いただけないかと、無理を承知で大塚商会に相談したところ、幸いご快諾をいただき、今回の実現となった。『千人回峰』初めての試み。どうぞご承知おきのうえ、お読みいただければと願う。(本紙主幹・奥田喜久男)


2016.8.31/大塚商会 本社会議室にて

 

写真1 記念すべき500号。「もう1度読みたい!記事ランキングBEST10」の堂々の1位は創刊号の大塚実社長(当時)の『あゆみ』創刊の思い。2位には手書き時代の『あゆみ』誌、3位は、2000人の社員が新幹線を借り切って京都に移動した創立25周年記念号。

写真2 創立40年を迎え、大塚裕司新社長が就任。『あゆみ』も、B5判モノクロからA4判ヨコ組・オールカラーに一新。本号から表紙もカレンダーと連動した「世界遺産シリーズ」に。カレンダーの写真は、スタート時から大塚裕司社長が選定している。

写真3 1986年夏発刊の242号は、創立25周年の記念号。この頃、TVコマーシャルを開始したこともあり、「OAの大塚商会」の名が広く浸透。業績は好調に推移、先行きの見通しも明るく、式典が行われた京都国際会議場は、集まった社員2500人の熱気に包まれた。このうち約2000人が新幹線を借り切って大移動となり、『あゆみ』は、にぎやかな移動の様子から盛大な式典まで、1冊まるごとで25周年を祝った。

写真4 1968年7月。創立7周年、水道橋に完成した、地上6階、地下1階の旧本社ビルが表紙となった46号。誌面も新社屋落成披露パーティやビル内部の様子を、たくさんの写真を交えて特集。この前年1967年には、年商6億1800万円、社員数は114人の規模に成長。

 
心に響く人生の匠たち

 「千人回峰」というタイトルは、比叡山の峰々を千日かけて駆け巡り、悟りを開く天台宗の荒行「千日回峰」から拝借したものです。千人の方々とお会いして、その哲学・行動の深淵に触れたいと願い、この連載を続けています。

 「人ありて我あり」は、私の座右の銘です。人は夢と希望がある限り、前に進むことができると考えています。中学生の頃から私を捕らえて放さないテーマ「人とはなんぞや」を掲げながら「千人回峰」に臨み、千通りの「人とはなんぞや」がみえたとき、「人ありて我あり」の「人」が私のなかでさらに昇華されるのではないか、と考えています。
 
株式会社BCN 会長 奥田喜久男
 
<1000分の第172回(上)>

※編注:文中に登場する企業名は敬称を省略しました。

社内報で、心の交流を図りたい

奥田 改めまして、創刊500号、おめでとうございます。

あゆみ ありがとうございます。

奥田 創刊されたのはいつになるのでしょう。

あゆみ 1964年です。日本中が熱気に包まれた、東京五輪が開催された翌月の11月でした。

奥田 創刊のきっかけは、社員の方からの要望だとうかがいました。

あゆみ そうです。当時の大塚商会は、本社、大森、新宿、赤羽、亀戸の5拠店で、全部合わせて社員は約50人ほどでした。社内報は新宿支店の発案でした。

奥田 五つの拠店で50人……。すみませんが、社内報の話の前に、大塚商会の創業の頃のことを教えていただけますか。

あゆみ 弊社の創業は、1961年の7月(正式登記は同年12月)です。秋葉原の一角で産声を上げました。社員は、創業者で現相談役名誉会長の大塚実がたった1人。古い木造2階建ての2階の1室で、20平方メートル、7坪弱のスペースでした。友人から譲り受けた古い机が数台と、古ぼけた応接セット、というオフィスでした。

奥田 創業は大塚会長、お1人だったのですね。

あゆみ その後、1人また1人と社員が増えていき、翌年の12月に最初の支店を、大森に開設したのです。

奥田 大森を選ばれたのは、何か理由があったのでしょうか。

あゆみ 同業者は蒲田や川崎に支店があり、弊社は後発でしたから、同じ場所で戦うのは不利になるということで、大森にしました。

奥田 支店の規模はどのくらいだったのですか。

あゆみ およそ26平方メートルで、本社より広かったですね(笑)。翌63年5月に新宿支店、64年6月に、赤羽と亀戸に同時に支店を開設しました。

奥田 本社と合わせて5拠点ということですね。『あゆみ』の創刊に近づいてきました。

あゆみ ある日のこと、新宿支店で社長を交えたミーティングの際、営業から提案があったのです。「毎月社内報を発行することで、心の交流を図れば、社員の結束に役立つのでは」と。結果、毎月各支店の営業が持ち回りで担当して、社内報を発行することにしたのです。

奥田 今の時代からだと、ちょっと想像しにくいですが、当時はインターネットもLINEももちろんなく、FAXですらまだ一部のものだった時代ですね。

あゆみ 創刊号は発案した新宿支店が担当しました。でも、あまりにすぐだったので、誌名もないままで(笑)。ですから、創刊号は『あゆみ』ではなく、『大塚商会社内報』でした。

奥田 それもまた楽しいエピソードですね。

あゆみ そうして発刊された創刊号の1ページ目には、「心の結集を願って」という社内報創刊への思いが綴られた文章が掲載されています。
 

社訓の一つに通じる『あゆみ』の誌名

奥田 創業期独特のワクワクする感じに満ちていますね。さあ、これから伸びていくぞ、成長していくぞ、といったような。

あゆみ その後、社内公募で誌名を募ったところ、社訓である「亀の歩み」に通じて、一番ぴったりだった『あゆみ』に決まりました。

奥田 「亀の歩み」とは、五つの社訓の一つ、「亀の歩みは兎より速いことを知れ」ですね。

あゆみ これは大塚自身の最大の信条であり、自分自身を戒めている言葉でもあります。兎と亀の話は、寓話などでよく知られていますが、大塚はここに深い意味を見出しました。なぜ、亀が兎より速かったのか、それは、亀が一歩一歩確実に、わき見や寄り道をせずに目的地に向かって最短距離を歩いたからだと。

奥田 それはビジネスの世界にも通じることですね。

あゆみ 言い換えれば、弱者でも強者に勝てることを意味しているということです。いかに強力な優良企業でも、大きなエラーを犯してそこを突かれたら、みるみるうちに敗退してしまう可能性は非常に高い。大事なのは、自分でエラーを犯さないように細心の注意を払って、亀の歩みを続けること。そして、チャンスにはそのタイミングを逃さずにグッと攻め入る姿勢を常にとっておくことだと。

奥田 なるほど。大塚商会の神髄がみえた気がします。ところで、『あゆみ』の題字も大塚会長が揮毫されたとうかがいましたが。

あゆみ 誌名がついた2号目から表紙を飾り、今でもその題字を使っています。

奥田 2号目はどの支店がつくられたのですか。

あゆみ 大森支店です。原稿を集めてコピー原紙をつくり、コピーを仕上げて、当時本社があった秋葉原に持参。お給料を手渡していた時代でしたから、給料日の25日に、お給料と一緒に社員に渡されておりました。

奥田 懐かしきよき時代……。

あゆみ 最初の頃は、表紙も誌面もすべてが手書きで、すべてが手づくりでした。その後、9号(1965年)で活字と写真が登場し、12号ではジアゾコピーからタイプ印刷になりました。

奥田 だんだん進化していきますね。

あゆみ 創立7周年の1968年に発行した46号では、水道橋に竣工された本社ビル(旧本社ビル)の写真を表紙にし、誌面では新社屋落成披露のパーティやビル内部の様子を写真で紹介しています。創立10周年には、大手町の農協ホールで開催された記念式典の様子や、約300名の社員が参加した10周年記念の北海道旅行を特集しています。当時は、ニクソン・ショックと呼ばれる円高不況だったこともあって、社員300人の記念旅行のことは少し話題になりまして、新聞にも取り上げられ、誌面のなかでも紹介しています。(つづく)

社内の結束をはかり、社員・家族に「紙」で届ける社内報――第172回(下)
大塚商会 社内報 あゆみ

 

心の結集を願って 大塚 実

 創刊号の発行に、まず心からの喜びを表したい。創業三年有余、お互いに心を結集して社業に励んで来た事が、業界に比類ない発展を見た第一の理由と存ずる。旅行や式典、会議、野球、宴会、それらのすべてが、この家族的一体感の育成に役立ったものと存じます。
 


 茲に新たに社内報が発刊され、その中で、苦労を語り、笑ったり、慰めたりして、心を通じ合えるとしたら、誠に貴重な企てと存じます。

 世話人の労に感謝すると共に、今后の成長を、楽しみにして居ります。

オススメの記事