ものづくりの伝統を守りながら ベンチャーであり続ける――第168回(上)

千人回峰(対談連載)

2016/09/20 00:00

森澤 彰彦

森澤 彰彦

モリサワ 代表取締役社長

構成・文/小林茂樹
撮影/長谷川博一

週刊BCN 2016年09月12日号 vol.1644掲載

 かつて、世の中の多くの印刷物は「活字」を組んでつくられていた。その歴史ある活版印刷からオフセット印刷に移行していったのは1980年代のこと。原版は鉛の活字から写真植字(写植)になり、それも和文タイプのような手動写植からキーボード入力の電算写植に進化する。さらに、90年代後半にはパソコン上でデザインや組版ができるDTPが普及。めまぐるしい技術革新だ。そのイノベーションに寄り添い、常にそれを支えてきたモリサワの本社で、じっくりとものづくりについてお話をうかがった。(本紙主幹・奥田喜久男)

2016.7.6/大阪市浪速区のモリサワ本社にて
 

ショールームには最新製品の展示だけでなく、同社の歴史を紹介する「ヒストリーゾーン」と文字や書物に関する「コレクションゾーン」も設けられている。とても貴重なものばかりだ。
 
心に響く人生の匠たち

 「千人回峰」というタイトルは、比叡山の峰々を千日かけて駆け巡り、悟りを開く天台宗の荒行「千日回峰」から拝借したものです。千人の方々とお会いして、その哲学・行動の深淵に触れたいと願い、この連載を続けています。

 「人ありて我あり」は、私の座右の銘です。人は夢と希望がある限り、前に進むことができると考えています。中学生の頃から私を捕らえて放さないテーマ「人とはなんぞや」を掲げながら「千人回峰」に臨み、千通りの「人とはなんぞや」がみえたとき、「人ありて我あり」の「人」が私のなかでさらに昇華されるのではないか、と考えています。
 
株式会社BCN 会長 奥田喜久男
 
<1000分の第168回(上)>

※編注:文中に登場する企業名は敬称を省略しました。
 

世界初の写真植字機の発明からフォントメーカーの雄に

奥田 今年1月、フォントソフト部門で初めて「BCN AWARD」を獲得されましたが、モリサワは印刷・出版業界では、とても有名な会社ですね。

森澤 モリサワのブランドはそうした業界では知られていますが、IT業界での知名度は低いため、専門の会社と組みながら展開していくという形をとっています。

奥田 森澤さんは、何代目にあたるのですか。

森澤 正確には五代目社長ですが、私の祖父が創業者であるため、世代としては三代目ですね。

奥田 お祖父さまが創業されたわけですか。

森澤 祖父は世界初の写真植字機を発明した人物で、いわば機械屋でした。100歳まで生きましたが、90歳くらいまではドラフターを使って製図をしていました。

奥田 まさに、生涯ものづくりの方ですね。フォントメーカーというと文字のイメージが強かったのですが、ハードもつくられるんですか。

森澤 フォントだけでなく、手動写植機、電算写植機というハードウェアもつくり続けてきました。実はフォントについては、昔は活字メーカーから字母を買ってきていたんですが、これからは文字も自分たちでつくっていかなければいけないということで、1961年に文字製造部門を独立させて、兵庫県明石市にモリサワ文研という会社をつくりました。

奥田 字母をつくるということは、やはり簡単ではないのでしょうね。

森澤 非常に難しいです。何が難しいかというと、膨大な数の文字を、同じコンセプトで同じ品質でつくり上げていくということがまず難しいのです。

奥田 およそ何文字くらいをつくられるのですか。

森澤 いま、一番多い文字セットでは、2万3千文字強ですね。書道家など字のきれいな方は、前がどんな字で、次にどんな字がくるとわかっているからきれいに書けるのですが、フォントをつくる際にはそうしたことを想定できない状態でデザインするため、さらに難しさが加わります。

奥田 書道家はこれから書く字がわかっているから、あらかじめバランスを調整して美しく書くことができるということですか。

森澤 そうです。ですから、単純に書道家の書いた文字をばらして並べ替えると、おそらく何か違和感が生じるはず。フォントの場合は、その部分もクリアしなければならないのです。

奥田 そうしたバランスのとれたフォントをつくるためには、どういうことを考えて開発すればいいのですか。

森澤 基本的には定型500文字というものがあって、その500文字をベテランのチーフデザイナーがつくります。これが一番難しいのですが、それをベースに他の文字に展開していくという開発のやり方です。ベースの500文字のなかにはいろいろな文字のパーツが含まれています。例えば、右に“はねる”とか、左で“とめる”といった要素です。そうした要素を組み合わせて、一つひとつ文字をつくっていきます。

奥田 ということは、バリエーションは無限ですね。

森澤 ただし、一部を変えると他の文字とのバランスが崩れるので、同一書体内のトメとかハネというのは統一性をもたせないといけません。基本コンセプトをきちんと定めてつくっていかなければならないわけです。

奥田 年間、何書体くらい出されているのですか。

森澤 モリサワ独自のものと他社からライセンスを受けてリリースするものがありますが、2016年の新書体は、タイ語や中国語簡体など外国語書体で60書体、和文は22書体です。

奥田 月に何点といったペースがあるのですか。

森澤 そういう決め方はしていません。なぜかというと、直線的なゴシック体は比較的つくりやすく制作に何年もかかることはありませんが、明朝体や楷書体など複雑な字形のものは制作に時間がかかるため、出せる数も年によってまったく異なるからです。
 

多メディア化がマーケットの拡大につながる

奥田 モリサワの事業には、文化の継承を担うという側面があると思いますが、それを続けていくために安定的な収益を上げる必要があります。そのためにはどんな要素が必要とお考えですか。

森澤 私たちのメインビジネスは書体であり、これまでは印刷と出版が主たるマーケットでした。そこにウェブサイト制作やゲーム制作など、IT業界の新しい産業が現れたことによって、より多くのメディアにモリサワの文字をご利用いただける環境になってきました。

奥田 マーケットが広がったということですね。

森澤 今までのように国内の印刷と出版だけであれば、外国語フォントをつくる必要はなかったし、これまでなかったような書体をつくる必要もありませんでした。ところが、お客様が多メディア化してきたおかげで新しいニーズが発生してきました。そうしたニーズに応える書体開発を続けていくことが、新たな収益を生み出していくと考えています。

奥田 やはり、書体開発は事業の根幹ですか。

森澤 そうですね。2005年に発売開始した「MORISAWA PASSPORT」が私たちの大きなビジネスなのですが、これはパソコン1台につき1年間に5万円ですべてのモリサワフォントを利用できるというものです。BtoBのビジネスとはいえ、新たな付加価値を提供できなければ解約されてしまうため、使ってみたいと思っていただける新しいフォントを次々とつくっていかないといけません。

奥田 このストックビジネスについて、森澤さんは意思決定に参画されたのですか。

森澤 社長に就任する前のことですが「会社の命運を左右する商品で、もしかすると2、3年赤字になるかもしれないが本当にやっていいか」と私が提案しました。最終的な判断は前社長がしましたが、その筋は私のほうでつけたのです。

奥田 その後の経過はどうでしたか。

森澤 初年度から赤字を出すことなく、順調に伸びています。印刷と出版は少しずつ減りますが、新しいお客様が増えているため、いまでも純増ですね。

奥田 それは大きなビジネスの転換点ですね。
(つづく)

ものづくりの伝統を守りながらベンチャーであり続ける――第168回(上)
モリサワ 代表取締役社長 森澤 彰彦


IWCの機械式時計


 もともと機械式時計が好きで、定めた目標を達成したとき、自分へのご褒美として買うという。これは、社長就任直後の一年を無事務めた記念に購入したもの。「あまり低い目標を立てちゃいけないんです。すぐ買えちゃうから」と森澤社長は笑う。