「和醸良酒」働く人の和があれば、自然といい酒になる――第131回(下)

千人回峰(対談連載)

2015/03/26 11:27

山本 輝幸

吉田酒造店 杜氏 山本輝幸

構成・文/浅井美江
撮影/津島隆雄

週刊BCN 2015年03月23日号 vol.1572掲載

 インタビューは、工場内にある応接室で行わせていただいた。酒造りで最も忙しい時期だけに、話をうかがっている間にも何度か、蔵で働く人たちが杜氏に指示を仰ぎに来られた。杜氏は姿勢を崩さず、各案件に対応されていたのだが、1度だけ、洗米機のアラートが鳴った時は「ちょっとごめんなさい」と断わるや否や、部屋を飛び出していかれた。その瞬間の目の光に、54年間、ひたすら酒に向き合い、酒を造ってきた人の心の奥底と熱烈な意志をみた気がした。(本紙主幹・奥田喜久男)

「杜氏になった時、全員を集めて言ったんです。うちは和醸良酒の蔵にしたいと」。おだやかな表情で酒造りの真髄を語ってくれた山本杜氏
 

写真1 機械化(コンピュータ化)された洗米機
写真2 洗米機を操作する山本杜氏。人手に頼るよりも正確に仕事をこなしてくれることに驚いたそうだ
写真3 後列左端は次期杜氏の吉田ジュニア、メンバーには海外から修行に来る方もいる
写真4 雫(しずく)取りのための酒袋に醪(もろみ)を入れる杜氏。袋から自然にしたたり落ちる雫を集めたものが雫酒
写真5 利き酒する杜氏
写真6 槽(ふね)と呼ばれる木の箱を用いる酒造り。伝統的な酒造法の一つ
写真7 吉田酒造店の入り口。杉玉が迎えてくれる
写真8 蔵の入り口のしめ縄
写真9 搾りたてのお酒「あらばしり」
写真10 搾りたての黄金色のお酒もある
写真11 ガラス瓶にお酒を寝かせる貯蔵庫
 
心に響く人生の匠たち

 「千人回峰」というタイトルは、比叡山の峰々を千日かけて駆け巡り、悟りを開く天台宗の荒行「千日回峰」から拝借したものです。千人の方々とお会いして、その哲学・行動の深淵に触れたいと願い、この連載を続けています。

 「人ありて我あり」は、私の座右の銘です。人は夢と希望がある限り、前に進むことができると考えています。中学生の頃から私を捕らえて放さないテーマ「人とはなんぞや」を掲げながら「千人回峰」に臨み、千通りの「人とはなんぞや」がみえたとき、「人ありて我あり」の「人」が私のなかでさらに昇華されるのではないか、と考えています。
 
株式会社BCN 会長 奥田喜久男
 
<1000分の第131回(下)>

※編注:文中に登場する企業名は敬称を省略しました。
 

杜氏は酒造りの最高責任者

奥田 ご自身のことを、もう少し聞かせてください。お生まれはどちらですか。

山本 能登です。石川県輪島市にある門前町馬渡というところです。

奥田 吉田酒造店さんとはどういうご縁で?

山本 54年間酒造りをしていますが、最初の20年は能登の蔵元でした。たまたま、同じ町の杜氏さんがここ(吉田酒造店)で働いておられて、こちらに来ないかと。以来34年間、『手取川』を造っています。

奥田 杜氏になられたのは、いつですか。

山本 17年前になりますか。私は下積みが長いんですよ。

奥田 最初から杜氏になりたいと思っておられたのでしょうか。

山本 いえいえ。全然思ってなかったです。責任も重いしね。杜氏になれといわれた時は、頭(かしら)という杜氏の下の役割だったんですが、そのほうがずっと楽だと。一応責任はあるけど、大した責任でもないしね。

奥田 杜氏と頭は違うんですね。

山本 そうです。頭は下の人をうまくまとめたり、動かしたりする役割です。で、みんなで集まると杜氏の悪口言ったりしてね(笑)。だから杜氏になれと言われた時も、ずいぶん考えました。親も、そんな人さまの財産を預かるなんて……と言ってましたね。

奥田 確かに。

山本 それでもね、酒造りは自分でもできないことはないな、造れるな、ということは頭にありました。人間のやることだから。それで、とにかくやってくれと言ってもらって、それならやってみるかと。

奥田 杜氏になられて最初の年はどうでしたか。初めてだし、緊張もされたのでは?

山本 実は、杜氏になったその年に、北陸3県の蔵元で行われる鑑評会で優等賞をもらって、さらに全国の新酒鑑評会で金賞をもらったんです。それで「ああ、自分が造っていてもいいんだ」と思いましたね。

奥田 賞をもらった時の味というのは、前の杜氏さんとは違うものでしょうか。

山本 全然変わりました。

奥田 そんなに変わるものですか。酒の味を決める技術はどのへんに備わっているんでしょうね。

山本 技術ではなく、経験だと思います。例えば、自分の技術をほかの蔵元さんに伝えても、同じ酒はできないと思います。

奥田 それはどうして?

山本 米洗い、麹づくり、仕込みの温度……、お互いに技術だけを交換しても造れません。「経過簿」といって、酒造りのデータは蔵に残っているので、それを見ればこうしていたのかということはわかります。でもなかなか同じ味というのは出ないんですよ。

奥田 ということは、例えば、山本杜氏と今ここで働いている蔵人さんがよそに行って、別の人がやってくれば、『手取川』の味は変わると。

山本 そうです。杜氏が変われば酒は変わりますから。

奥田 杜氏としての誇りはどんなところにありますか。

山本 それはやっぱり、呑んでくれたお客さんが「うまいなあ」と言ってくれることに尽きますね。
 

酒造りで何よりも大事なのは働く人の和

奥田 今度は未来の話を聞かせてください。私もいち経営者なんですが、経営者の最大の仕事は次の経営者をつくることですよね。杜氏さんも同じですか。

山本 まったく同じです。私もいつまでも仕事ができるわけではないので、あと5~6年のうちにと思っています。

奥田 今、おいくつですか。

山本 69歳です。今年11月に古希を迎えます。あと5~6年の間にバトンタッチして、完璧な状態にしておきたいですね。

奥田 ということは、すでに次の杜氏候補は見定められている?

山本 はい。今の社長の息子さん(吉田泰之氏)です。東京農大の醸造科を出て、山形の大手酒造で修業を積んで、4年前からかな、ここで働いています。海外で販売の経験もされてますしね。

奥田 じゃあ、そんな時間がかからずバトンタッチできそうですね。

山本 いやいや。そんなことはありません。やっぱり実際に杜氏になってから覚えないとダメなんです。こういう時はこうするんだとか、現場で教えていかないと。杜氏としての責任の重みから覚えていかないといけません。

奥田 これからの酒造りについて、思うことは?

山本 あります。これからは一歩進んだ酒造りをしないといけない時代なんじゃないかな、と思います。

奥田 一歩進んだとはどういう意味ですか。

山本 今は、低アルコールとか、ちょっと変わったお酒をみんなが好むようになった時代です。私は私の代の造り方をしますが、それだけでは進歩がない、ということもわかっています。だから、若い人たちには、今の自分の造り方より、もう少し前進した酒造りに励んでいってもらいたいと思っています。酒造りは続けていくけれども、呑む人はどんどん世代交代していきますから、それをちゃんとみていかないと。

奥田 最後に、山本さんが杜氏として、一番大事に思うことを聞かせてください。

山本 「和醸良酒」です。和をもって造れば良い酒ができるという意味です。下積みの時、いつもいつも怒られてばかりいたんです。まあ、自分が至らないところもあったとはいえ、毎日怒られ続けていては、仕事もしたくなくなります。なので、杜氏になった時、全員を集めて言ったんです。うちは和醸良酒の蔵にしたいと。和さえしっかりしていれば、酒は絶対によくなります。自然にいい酒ができると信じています。ここで働いている人は、みんなの和をもって酒を造っています。それが何よりも一番大事です。

奥田 すばらしい言葉をありがとうございます。
(次号は、次期蔵元杜氏・吉田泰之氏の話に続きます)


 

こぼれ話

 金沢の名所「兼六園」の高台から遠く真北に伸びる能登半島に目を向ける。およそ80km先、半島の中ほどから輪島の手前に高爪山を望むことができる。その麓には高爪神社があって、そこで神主を務める福山直己さんによれば、この地は前田利家公との所縁があるという。福山さんは長年、白山姫(しらやまひめ)神社に奉職して昨年、実家の高爪神社に帰り、ご夫婦でお社を護っておられる。久しぶりに会ったら、「白山で長い年月眠った地下水を汲み上げて造った『手取川』という美味い酒がある。その蔵とは親しい間柄なので、立ち寄ってみないかい」と、ひょんなことから話が転んで、杜氏の山本輝幸さんに案内していただくことになった。

 「2月12日、午後2時半においでください」と日時指定。玄関のガラスの引き戸を開ける。「さあどうぞ、奥へ」と導かれて酒蔵の奥の奥深くまで。作業着姿の蔵人が醸す緊張感がビンビンと伝わってくる。今年最後の仕込みの大吟醸を利き酒した。気分は味覚を超えていた。北陸新幹線開通、おめでとうございます。富山、金沢が近くなりました。

Profile

山本 輝幸

(やまもと てるゆき) 1945年石川県輪島市生まれ。地元の能登で20年酒造りに関わった後、石川県白山市で明治3年から続く吉田酒造店に移る。以来34年、同店の銘酒「手取川」を造り続け、17年前からは杜氏として「手取川」を仕切っている。趣味は米作りとカラオケ。酒造りの基本に「和醸良酒」を掲げ、11人の蔵人を率いる。

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