登山家はさまざまなギアを手に入れ、それを工夫し進化させて、より高い頂を目指す。だが、最も重要なギアは自身の肉体であり、各々がつくり込み、進化・順応させていくことが求められる。三度にわたるエベレスト登頂を成功させた三浦雄一郎さんは、その年齢をものともせず、どのように身体をつくり込み、どのような思いを原動力としてそれを成し遂げることができたのか。そして、目標を持ち続けることにどんな意味があるのか。冒険界の偉人から、興味深い話を聞くことができた。【取材:2013年7月31日 東京・渋谷区千駄ヶ谷のミウラ・ドルフィンズにて】

「高齢者になっても、ものづくりならぬ身体づくりは可能です」と三浦さんは語る
 
 「千人回峰」は、比叡山の峰々を千日かけて歩き回り、悟りを開く天台宗の荒行「千日回峰」から拝借しました。千人の方々とお会いして、その哲学・行動の深淵に触れることで悟りを開きたいと願い、この連載を始めました。

 「人ありて我あり」は、私の座右の銘です。人は夢と希望がある限り、前に進むことができると考えています。中学生の頃から私を捕らえて放さないテーマ「人とはなんぞや」を掲げながら「千人回峰」に臨み、千通りの「人とはなんぞや」がみえたとき、「人ありて我あり」の「人」が私のなかでさらに昇華されるのではないか、と考えています。
 
株式会社BCN 会長 奥田喜久男
 
<1000分の第100回>

※編注:文中に登場する企業名は敬称を省略しました。
 

藻岩山でダウンした5年後にエベレスト登頂を果たす



奥田 三浦さんが80歳7か月にして三度目のエベレスト登頂を成し遂げられたことは、われわれに大きな希望を与えてくれました。骨年齢は20代とうかがいましたが、どのようにしてその強靭な肉体をつくり、維持しておられるのでしょうか。

三浦 僕は54歳のとき、世界七大陸の最高峰すべてから滑降するという目標を達成したのですが、その後、50代後半から60代にかけて、だいぶのんびりと過ごしてしまいました。実は、その頃には「もう、やることがない」と思っていたんです。ですから、毎日、ビールと焼肉三昧です。するとあっという間に太ってしまい、メタボどころか、狭心症、不整脈、腎臓病、糖尿病、高血圧と、まるで生活習慣病のデパートになり果ててしまいました。病院で検査したら、この身体ではあと5年も生きられないといわれて、これじゃいけないと思いつつ、なかなか復活のきっかけがつかめなかったんですね。

奥田 意志の強い三浦さんをしても……。

三浦 ええ。そんなとき、僕の父親は三浦敬三というのですが、99歳にしてモンブランの氷河をスキーで滑降するという荒技に挑戦していました。99歳でそういうことをやろうとする親父は、90歳から97歳までの間に3回も骨折しています。ふつう、そんな年齢で骨折したら致命傷になりかねないですし、こんな危ないことはやめようということになりますが、親父はスキーが大好きですから「治ったらモンブランを滑ることができる」という一心で本当に治してしまい、実際にその挑戦を成功させたのです。

 一方、僕は60歳そこそこで目標を見失っていたわけですが、そういう父の姿を見て「親父がモンブランだったら自分はエベレストだ」と一念発起しました。ところが、札幌の家のすぐ裏に藻岩山という標高531mの山があるのですが、手はじめにこれを登ろうとしたら途中でのびてしまいました。心臓の調子もおかしいし、あぶら汗をかいて足も痙攣する。でも、そのときに思ったんです。メタボで500mの山も登れなかった65歳のじいさんが5年かけてエベレストに登ったら、こんなおもしろいことはないじゃないかと。それでかえって開き直れて、山登りのトレーニングを始めることができたんです。

奥田 65歳から、身体をつくり直したと。

三浦 そうですね。はじめの2年間は日本でトレーニングして、まずは富士山に登ろうと。それで富士山に登れるようになれば、今度はヒマラヤで少しずつ高度を上げていき、5年後にエベレスト登頂という計画です。

 1年目は、足首に1kgずつ錘をつけて、10kgほどの荷物を背負って外出します。これを半年くらいやると徐々に体重が落ちてきて、富士山に挑戦したらなんとか登ることができました。その後は少しずつ負荷を強めていき、最終的には、片足に8kgから10kgずつ錘をつけ、30kgの荷物を背負って週1日2時間程度歩きます。僕はこのトレーニングをヘビー・ウォーキングと名づけましたが、これができれば、エベレストに行ける足腰ができるはずだと想定して実行してみたんですね。

奥田 片足に10kgですか……。65歳で500mの山を登れなかったのに、70歳でエベレスト登頂とは、まさにすごいの一言に尽きますね。

三浦 そんなトレーニングをしているうちに、膝の半月板損傷やぎっくり腰が治ったんですよ。知り合いの外科医から、手術をして人工関節にするかといわれるほど針を刺すように膝が痛かったのに、足首に錘をつけてザックを背負って歩いたら、半年くらいで痛みが消えました。単純にいうと、そういう負荷がかかることによって筋肉がつき、再生しようとする動きが生まれたんですね。それで、骨密度もだんだん高くなってきました。

奥田 その年齢でも骨密度が高くなるんですか。

三浦 そうなんですよ。もっとも、冬はスキーをずっとやっていましたから。毎年、鹿屋体育大学の教授で登山家の山本正嘉先生のところに行ってスポーツテストを受けて、体力や筋力をずっとチェックしてきましたが、結果として、最大酸素摂取量も徐々に上がっていって、とうとう70歳でエベレストに登りました。ですから、基本的にはある程度の高齢者になっても、ものづくりならぬ身体づくりが可能だということですね。

奥田 5年でそこまで戻るものですか。

三浦 5年どころか2年ぐらいで戻りました。いま、健康法ブームですよね。いろいろと医学的、実証的な研究に基づいたものが多いと思いますが、僕は健康法でも“守る健康法”と“攻める健康法”があると思うんです。

奥田 まさに後者ですね(笑)。

三浦 自分で勝手に考え始めたんですよ。守る健康法は、要するに病気にならないように食生活に気をつけて、軽い運動やウォーキングをするといったところです。つまり健康法の原則は、食事、運動、生きがいの三点セット。でも、これをのんびりやっていたんじゃ当然エベレストには登れないので、攻める健康法だと。徐々にですが、負荷をかけていくわけです。単純なウォーキングやラジオ体操といった負荷がかからない運動だけでは、やはりそれなりに歳をとっていく。ところが、負荷をかけてやってみたら、それこそ筋肉や骨密度が、この歳になってもどんどん上がっていくんですよ。
 

「そりゃ無茶だ、だからやる」



奥田 三浦さんの場合、どのようなプロセスを経て目標を設定されるのですか。

三浦 できるかどうかわからない、不可能かもしれないと思っても、このステップをたどることで成功する可能性があると判断すれば、そこに目標を置いて挑戦しようと思いますね。

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