「ありがとうの輪」で世界中の個を結びつけたい――第90回

千人回峰(対談連載)

2013/08/28 11:27

兼元 謙任

兼元 謙任

オウケイウェイヴ 代表取締役社長

構成・文/小林茂樹
撮影/津島隆雄

 今年1月、兼元さんの話を直接聞く機会があった。少年時代からさまざまな苦労を味わって、どん底の時代を経験されたことは知っていたが、これほどまでに凄絶な半生を過ごしてきた方とは思わなかった。あらためてじっくりとお話をうかがって記録にとどめておきたいという記者の本能がうずいた。過去を踏まえてどんな思いで事業に携わっておられるのか、そしてそのキーワードである「ありがとう」の意味に迫った。【取材:2013年3月12日 東京・渋谷区恵比寿のオウケイウェイヴ本社にて】

「食べたり飲んだりすることも、会社を運営することも『ありがたい』ことなんです」と兼元さんは語る
 
 「千人回峰」は、比叡山の峰々を千日かけて歩き回り、悟りを開く天台宗の荒行「千日回峰」から拝借しました。千人の方々とお会いして、その哲学・行動の深淵に触れることで悟りを開きたいと願い、この連載を始めました。

 「人ありて我あり」は、私の座右の銘です。人は夢と希望がある限り、前に進むことができると考えています。中学生の頃から私を捕らえて放さないテーマ「人とはなんぞや」を掲げながら「千人回峰」に臨み、千通りの「人とはなんぞや」がみえたとき、「人ありて我あり」の「人」が私のなかでさらに昇華されるのではないか、と考えています。
 
株式会社BCN 会長  奥田喜久男
 
<1000分の第90回>

※編注:文中に登場する企業名は敬称を省略しました。
 

理不尽な体験の末にみつけた生きる希望

奥田 兼元さんは在日韓国人三世として名古屋に生まれ育ったわけですが、子どもの頃、自分は韓国人であると意識されていましたか。

兼元 あまり自覚していませんでしたね。たしかなことは、日本に暮らしているということだけです。日本語しか話せませんし、家ではチョゴリのようなものを着ているわけですが、それが普通だと思っていました。

奥田 しかし、それが原因でひどく差別的ないじめにあったと。

兼元 小学校6年生になるときに帰化申請することになって、役所の外国人課に行って指紋押捺をしたのですが、それを誰かに見られたのがいじめのきっかけです。私は地元の小学校に通っていたのですが、近くに朝鮮学校があって敵対している関係でした。子どもは残酷ですから、いきなり「こいつは敵だ」となって、ひどく殴られました。昨日まで「かねちゃん」と言ってくれて一緒に仲よく遊んでいた子に助けを求めたら、鬼のような形相でにらみつけている。これはショックでしたね。実は、いまでもそんな夢を見て、汗びっしょりになって夜中に飛び起きることがあります。

奥田 それはつらい思い出ですね。それで小学生のときに帰化されて……。

兼元 いいえ、実際に帰化できたのは大学に入ってからです。結局、7年ほどかかりました。申請すると、日本の裁判所は帰化せずに故郷(韓国)に帰れと言い、民団(在日本大韓民国民団)は裏切り者扱いする。自分のアイデンティティがわからなくなって、日本も韓国も嫌いになりました。10代の後半は悶々としていましたね。

 さらに追い撃ちをかけるように、難病(ギラン・バレー症候群)を患い、筋力を失って車イス生活となり、一時は死を覚悟したことがありました。また、当時つき合っていた彼女の両親からは交際を禁じられました。在日ゆえに進学も結婚もできないと悲観して、もう生きていても仕方ない、死んだら楽になると思っていました。でも、病室の外で、医師が最後の手段として新薬を注射するので承諾書にサインしてほしいと私の母親に話しているのが遠くから聞こえたとき、「死にたくない、やはり生きたい」と切実に思ったんですね。そこから少し気持ちが前向きになって、病状も回復に向かったのです。
 

株式公開とカミングアウト

奥田 そういう経験が、兼元さんの起業や事業継続の下地になっているのでしょうか。

兼元 なっていると思います。有限会社から株式会社に組織変更して3年間は赤字で、投資してくれたサイバーエージェントの藤田晋さんや楽天の三木谷浩史さんなどからかなりきびしい言葉で責められました。だから、当時は取締役会で財務報告するのがイヤでイヤで仕方なかった(苦笑)。でも、あきらめないで事業を継続できたのは、そのきつい時代に培われた辛抱強さのおかげでもあると思いますね。

奥田 なるほど。でも、どうして兼元さんはあれほど仕事中に「ありがとう、ありがとう」と言うのですか。

兼元 病気がひどくなったときには、歩けませんでしたし、呼吸もままなりませんでした。満足に息ができないんですね。息ができるということは、みんなあたりまえのことだと思っていますが、実はそうではありません。地球環境や精緻な人体のメカニズムが奇跡的にマッチして、それが成り立っているわけです。それがありがたい、つまり「有ることが難い」ことであると、ある本を通じて知りました。だから私たちは、奇跡的に生きているのだと思います。食べることも飲むことも、こういう会社を仲間と一緒に運営させてもらうことも「ありがたい」ことなんです。

奥田 おそらく闘病中に、それがすごく深く腑に落ちたのですね。

兼元 そうかもしれません。だから今も、「ありがとう」を貯めようと言っているんです。でも最初は株主さんからも「おまえら宗教団体か。気持ち悪いぞ」って言われて大変でした(笑)。ようやく最近は、その真意を理解していただいていますが……。

 ただ、腑には落ちたのですが、当時は、どこかに猜疑心が残っていたのも実際のところです。

奥田 その頃は、在日韓国人だったことや帰化したことも、オープンにしていなかったんですね。

兼元 はい。オープンにしようと思ったきっかけは、株式公開です。

奥田 公開する際には、いろいろと申告しなければなりませんからね。

兼元 そこでまた悶々としました。自分が在日だったということが表に出たら、子どもたちに自分と同じ思いをさせてしまうのではないかと考え、ストレスで昔の病気が再発して入院してしまったんです。

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