【『千人回峰』とは、人の生き方についての対談連載です】
その雅やかな姿が人々を魅了する姫路城。お城から歩いて数分の場所に播磨国総社 射楯兵主神社は在る。地元の人たちは、親しみを込めて総社さんと呼ぶ。「そうじゃ」ではなく「そうしゃ」。にごりがないのだそうだ。西本さんはこの神社の宮司を務めておられる。宮司というのはその神社で一番えらい人、というのは分かっても、さてその仕事とは? 知っているような気もするが、理解していないような気もする。西本さん、宮司の仕事とはどんなものなのですか。(本紙主幹・奥田喜久男)

構成・文/浅井美江 撮影/掛川マサヤ

2019.1.24/播磨国総社 射楯兵主神社にて

神様から神様にお願いをする20年に一度のお祭り

奥田 実に立派なお宮さんです。姫路城がすぐそばなんですね。

西本 ありがとうございます。お城までは歩いても約4分ほどでしょうか。

奥田 播磨国総社 射楯兵主神社と二つの名前が並んでいます。

西本 地元では「総社さん」とか「総社の神様」と呼ばれていますが、正式な神社名は射楯兵主神社(いたてひょうずじんじゃ)。ご祭神としてお祀りしている射楯大神(いたてのおおかみ)様と兵主大神(ひょうずのおおかみ)様のお名前がそのまま神社の名前です。総社と呼ばれるゆえんは、境内に播磨国内の大小明神174座を合わせ祀っていることから、播磨国総社と称します。

奥田 なるほど。こちらの宮司になられたのはいつですか。

西本 2008年の4月1日からです。

奥田 それまではどうされていたのでしょう。

西本 実家がある中臣印達神社の宮司をしながら、東洋大学付属姫路高等学校で国語科の教諭をしていました。

奥田 宮司と教師、二足のわらじを履いていらした。

西本 そうです。平日は教師を務め、土日と祝日は宮司を務めておりました。

奥田 それでは休む暇がない……。何年くらい続けられたんですか。

西本 ここの宮司になるまでですから、かれこれ34年間になりますか。

奥田 激務でしたね。

西本 まあ、身体にはきつかったかもしれません。

奥田 こちらのお宮さんには大きなお祭りがあるとうかがいました。

西本 20年に一度の三ツ山大祭礼、60年に一度の一ツ山大祭礼ですね。ともに兵庫県の無形重要文化財に指定されています。

奥田 三ツ山大祭礼は20年に一度、伊勢の神宮と同じサイクルですか。大事業ですね。

西本 斎行されるのも同じ年です。

奥田 あっ、そうなんですか。ということは13年ですか。

西本 そうです。宮司になってから5年後でした。

奥田 どんなお祭りなのでしょう。

西本 地元の神、播磨の神々、全国の神々が三つの大きな山に集い、日本の国中が幸せになるように祈るお祭りです。

奥田 三つの山に神様が集われるんですか。

西本 そうです。山に神様が降臨される、または山に神様がお住まいになるという考え方に基づく非常に原初的なお祭りです。詳しく説明しますと、二色山、五色山、小袖山と呼ばれる竹で編んだ大きな山を神門の前に設け、それぞれに地元の神様である九所御霊(くしょごりょう)、播磨国16郡の明神、そして全国の天神地祇を、当宮のご祭神である射楯大神様と兵主大神様がお迎えし、ともに過ごされます。

奥田 神様が神様をお迎えする。

西本 それが三ツ山大祭礼の特色です。通常は人々のお願いごとを、祝詞奏上という形をとって宮司から神様にお願いするのですが、三ツ山大祭礼では、ご祭神の二神様からお越しいただいた神様にお願いしてくださいと、お願いするんです。

奥田 なんだか複雑そうですね。

西本 そうなんです。ご祭神である射楯大神様と兵主大神様のことは、決して頼りにしていないわけではありませんと。

奥田 まずは、おことわりをして。

西本 ご祭神に対して絶対に失礼があってはいけません。頼りにしていないということでは絶対にないんだけれど、人々をもうちょっとだけ幸せにしていただくために、二神様のほうからお集まりいただいた神様方にお頼みいただけませんでしょうか、というようなことを祝詞で奏上するわけです。

奥田 それは気を遣います。何やら人間の世界に通じるところがありそうです(笑)。

神様にお仕えするには総代や氏子とのバランスが大切

奥田 お祭りを斎行されるにあたって、こだわったことがあるとうかがいました。

西本 祭り自体はおよそ500年ほど続いているんですが、いつのまにか形骸化してお祭り自体が観光イベントのようになっていたところがありまして。それは違うと、新聞社や市の関係者にずいぶん話をさせていただきました。

奥田 単なるイベントではないと。

西本 確かに人が集まってにぎやかではあるけれど、決して見世物ではありません。催し物の形をとっているけれども、文化そのものなんだと。

奥田 にぎやかで楽しいだけではいけないということですね。

西本 にぎやかで楽しくていいんですが、それだけではない。見るだけ行くだけの観光ではない。あくまでもお参りに行くところであると。ご本殿の中におられる神様が祭りの間だけ外に出てくださる、さらに日本中から神様が集まってくださっている。神様がそこにいらして、そこに近づきに行く場なんだと。口を酸っぱくして言い続けました。

奥田 メディアや市の関係者に訴えに行かれたんですか。

西本 行きました。僕だけでなく、うちの禰宜や権禰宜を出前講座のようにして、いろいろなところに行かせました。神様は高尚な存在ではあるけれども、はるか遠くにおいでになるわけではなく、すぐそばにおられる。われわれが頼りにさせていただくのに十分な対象であり、安心の対象であるということを多くの方々にちゃんと伝えてこい、といって送り出しました。

奥田 そうして、お祭りを斎行された。いかがでしたか。

西本 おかげさまで65万人もの方々にお参りいただくことができました。

奥田 それはすごい。ところで、改めておうかがいしていいですか。

西本 はい、どうぞ。なんでしょう。

奥田 宮司さんというのはお宮さんの一番えらい人というのは分かりますが、通常どんなことをして、何を考えていらっしゃるんですか。

西本 (しばし考えて)しょうもない回答で申し訳ないんですが、ただひたすら神様のおそばに控えてご機嫌をうかがうということになりますでしょうか。宮司はあくまでも神様の一番そばにいて、お仕えするのが仕事ですから。

奥田 それはお務めの間。

西本 お務めの間はもちろんですが、お休みの時もずっとですね。宮司の家がお宮さんの横にあるというのはそういうことです。ここのお宮は宿直がありますし、境内の隅に宮司さんの家があるところもあります。

奥田 ということは24時間。

西本 そうです。1年365日24時間、神様のお守りをさせていただく。お宮にあって宮司というのはそういうことだと僕は思います。それをここにいる職員たちが助けてくれ、さらには、地域の総代さんや氏子さんが全体的に支えてくださる。そのバランスが大切です。

奥田 トップである宮司が何もかも決めるというわけではないんですね。

西本 違います。宮司だけがああしよう、こうしようと先走ると全体のバランスが崩れます。総代さんや氏子さんとの関係もおかしくなるし、お宮さんそのものも何となく人離れしてしまう。それは神様がお逃げになるのかもしれないし、氏子さんがあそこのお宮さんはなんか変やな、と敬遠するのかもしれない。

奥田 なるほど。

西本 ですが、当然のことながら神様には何の問題もないわけですから、やはり人であるところの宮司が邪(よこしま)なことを考えると、そういう状況に陥ると。ですから、宮司はあくまでもそっといるのがいいと思います。そっとね。

奥田 ほう、宮司さんというのはそんな存在なんですか……。

西本 僕はそう思いますね。(つづく)
 

西本宮司を支える写真と著書

 2007年に記された西本宮司の闘病記『神様 ほんまに、ありがとう』。写真は三ツ山大祭礼の折り、祝詞を奏上していた時のもの。撮影された方の文章に神様への畏怖と信仰がうかがえる。「この二つが今の僕を支えてくれています」とのことだ。
 
 
心に響く人生の匠たち

 「千人回峰」というタイトルは、比叡山の峰々を千日かけて駆け巡り、悟りを開く天台宗の荒行「千日回峰」から拝借したものです。千人の方々とお会いして、その哲学・行動の深淵に触れたいと願い、この連載を続けています。

 「人ありて我あり」は、私の座右の銘です。人は夢と希望がある限り、前に進むことができると考えています。中学生の頃から私を捕らえて放さないテーマ「人とはなんぞや」を掲げながら「千人回峰」に臨み、千通りの「人とはなんぞや」がみえたとき、「人ありて我あり」の「人」が私のなかでさらに昇華されるのではないか、と考えています。
 
主幹 奥田喜久男(週刊BCN 創刊編集長)
 
※編注:文中に登場する企業名は敬称を省略しました。
 
Profile
西本和俊(にしもと かずとし)

 1949年6月生まれ。皇學館大学文学部国文科卒。神職身分・浄階一級。73年から実家がお守りする中臣印達神社禰宜を務めつつ、翌年より東洋大学付属姫路高等学校国語科教諭に就任。平日は教諭として、週末と祝日は神職として精勤。2008年4月より播磨国総社 射楯兵主神社宮司。13年には、兵庫県無形重要文化財に指定されている20年に1度の大祭「三ツ山大祭礼」を宮司として斎行する。06年からは神社本庁駐在教誨師と並行して兵庫県神社庁8人目の宗教教誨師を委嘱されている。